イスラエルの軍事史学者、マーチン・ファン・クレフェルトが来日しておりますが、2日には戦略研究学会主催で講演会が開かれました。クラウゼビッツの批判者であり、通説に真っ向から立ち向かう(そして正論でもある)事で知られるクレフェルト。母国イスラエルの戦略について語りましたが、とても興味深いものでしたので、要旨をご報告したいと思います。
はじめに
イスラエルの最大の敵はイランではないかという声があると思います。
地図を見るとイランとイスラエルは非常に距離が離れている。
1948年の第一次中東戦争では、エジプトはエルサレムの南数キロのところまで迫っていました。
この時、後の首相アリエル・シャロンは22歳で中隊長。イラク軍と戦っていた。
エジプト陸軍によってイスラエル南部は孤立させられていた。
イギリスの信託統治下にあるので、常備軍を持つ事は許されなかったイスラエルは、速成の部隊で戦った。
アラブ軍と抵抗するためにイスラエルにあったのは10個歩兵旅団だけだった。
重火器と言えるものはほとんど無かった。
第一次中東戦争はイスラエルの歴史の中でもっとも犠牲者がでて、国民の1%に及ぶ死者が出た。
現在、この小さな国がどこと比べても遥かに強力な軍を持つに至った。
弾道ミサイル、巡航ミサイル、戦闘爆撃機、巡航ミサイル発射可能潜水艦といった今日、最も強力と言える装備もっている。
エジプト軍がエルサレム南部数キロに迫っていた1948年と比べ、こんなにも変わっている。
今日は、国ごとにイスラエルの安全保障に及ぼす関係について話したい。
エジプト
エジプトはイスラエルにとって最も重要で、最も強力な隣国である。
1948年から73年まで、両国は何度も戦争を行った。
この35年間は和平を結んでいる。イスラエルの最も強力で最も危険な敵はいなくなったのだ。
この10年、エジプト軍の戦力は大きく低下した。
特に装備などが旧式化し、ロシアからの装備購入といった話がここ最近出てくる。
軍はメンテナンスや兵站、技術といった様々な面でアメリカに依存している。
エジプト世論ではイスラエルとの関係は悪いが、国家・軍のレベルでは関係良好である。
なぜなら、ハマス、イスラム運動、独立を目指すベドウィンといった共通の敵を持っているからだ。
これらの共通の敵にたいし、イスラエルとエジプトの協同の成果は大きい。
イスラエルがシナイ半島を超えて追跡することもある。
アラブ諸国軍はイスラエルを相手にするとうまくいかないが、自国民に対しての戦いでは強い。
これまでの例からも、自国民に対して戦う事になると、アラブ諸国の軍はその限界を知らない。
イスラエルからの支援もあり、シナイ半島における活動はまあまあ成功している。
今の状況が続く事を祈っている。
レバノン
1948年以降、レバノン・イスラエル国境は長年平和だった。
例えば小学校の遠足などで北部に連れて行き、ここが国境だよと教えてから、国境から少し北に入る事が出来たくらい平和だった。
しかし、1967年の第三次中東戦争により、PLOがレバノンに拠点を移してから状況は変わった。
2000年頃まで、レバノンからのテロ攻撃が一週間続かなかった時期がなかったくらいだ。
32年間に渡り、ロケットや急襲、地雷、待ちぶせ等によるレバノンからのテロ攻撃が続いていた。
このような状況に終止符をうつべく、1982年のベギン政権・シャロン国防相はレバノンに侵攻した。
その目的はキリスト教勢力を支援し、親イスラエルの穏健な政権を立てる事だった。
御存知の通り、この目論見は失敗し、イスラエルは2000年に軍をレバノンから撤退させた。
2000年から一時的にはテロは減少し、3,4ヶ月間は静かな状況が期待できるまでになった。
当時のヒズボラの狙いは、イスラエル兵士を捉えて、収監されてるヒズボラ幹部と交換することだった。
8年前の2006年にこうしたことがエスカレートし、兵士に誘拐殺害が多発し、また戦争になった(レバノン侵攻(2006年))。
それ以来、イスラエル・レバノン国境はほぼ平穏になっている。
その理由としてはヒズボラが教訓を学んだ事もあるし、現在はシリアの紛争に囚われている事もあるだろう。
シリア
イスラエル・シリア国境は、1974年以降は平穏だった。
アサド政権は父も息子(現在)の時代も、レバノンにおいてはトラブルがあったが、ゴラン高原は平穏だった。
いずれにしても、エジプト無しにはシリア単独ではイスラエルの戦力に敵わない。
シリアは酷い状況になって、一説によれば2011年から15万人が内戦で命を落としたと言われる。
シリアの軍事力に関しては存在しないと言っていいかもしれない。
イスラエルがシリアに爆撃しても、地上で行動を起こしても、シリアはイスラエルに対してなんら反応しないことからも、そう言えるだろう。
イラク
イラクは他の敵国とは状況と違い、一番近い所でヨルダン川から600kmある。
イスラエルとは国境を接していない点で、他の国とは大きく異る。
こうした理由から、イスラエルはイラクへは極端になれる。
すなわち、イスラエルと戦火を交えても、領土を失う心配がない。
イスラエルとイラクで和平を結んだ事はない。厳密に言うと今も戦争状態にあると言える。
しかし、距離が離れていても、イラクはイスラエルとアラブの戦争にいつも関わっていた。
1948年にはイラク軍はテルアビブまで30キロメートルまで迫り、1967年にはヨルダン川西岸まで到達し、1973年にはシリア軍の支援として軍団を派遣してきた。
論者によって評価が異なるが、1973年に派遣されたイラクの軍団はあっというまに打ち負かされたとも言われるし、逆にイラク軍のおかげでイスラエル国防軍によるダマスカス占領に至らなかったとも言われる。
1973年以降は原油価格の高騰を背景に、イラクは中東でも最大規模の軍隊を作った。
1970年代、イスラエル国内で東側国境・東部前線が話題になった。シリア・イラク・イランと連合を組んで、イスラエルの敵になるのではないかと恐れられた。
もちろんそういうことにはならなかった。イラクは80年代になって、イランに目を向けるようになった。
その後の第一次湾岸戦争でイラクはイスラエルを攻撃したが、攻撃は象徴的なものに過ぎず、重量で10トンほどの爆撃だった。
1944年45年にアメリカが日本に落とした何万トンもの爆弾と比べると、いかに規模が小さいかが分かる。
イラクがイスラエルを攻撃した政治的理由は、アラブ世界の分断だが、それはイスラエルが参戦しなかった事で失敗した。
軍事的に言うと、攻撃の意義は全くなかった。
もし、フセインが化学兵器をイスラエルに対して使っていたなら、事態は異なったろうが、実際には化学兵器の使用は無かった。
1992年以降、イラクはイスラエルの脅威となる軍事的能力を保有することはなかった。
そして、アメリカの第二次湾岸戦争により、かつての能力は完全に喪失した。
イラン
この10年ほどでニュースになってきた国である。
ネタニヤフ・シャロン両首相は、イランの核兵器について、様々な発言をしてきた。
私としては、イランが核兵器保有の意思はないと語った時、真実を語っているように見えた。
つまり、私の考えとしてはイランが求めているのは核兵器の保有でなく、必要な時に短時間で作る能力ではないか。
繰り返すが、私の意見としては、イランは核兵器ではなく、必要なときに作れるインフラ・能力ではないか。
なぜなら、イランが求める理由はイスラエルを恐れているのではなく、アメリカであり、それは当然の理由であると思う。
1980年以降のアメリカは世界各地に侵攻し、次のアメリカの大統領がどこに侵攻するか分からないからだ。
ミロシェビッチ、カダフィ、フセインと言った人々を見れば分かるが、アメリカに対抗できる力を持ってなかった人々だ。
アメリカに抵抗するには、核兵器とその運搬手段が必要となる。
イスラエルに対するテロ攻撃をイランが支援しているのは事実である。
しかしながら、全ては比較の問題であり、こうしたテロ支援は、深刻なものではない。
イランの核保有を恐れているのは、イスラエルではなく、サウジアラビアなどの湾岸諸国であると言える。
湾岸諸国とちがい、イスラエルにはイランの核を抑止するものが備わっており、そのことをイランはよく知っている。
個人的には核を持ったイランとイスラエルは共存できると思う。
核保有したイランがもたらすインパクトは、膠着状況に過ぎない。
イラン・イラク戦争の後、イランの方から殉教者となり72人の乙女たちと暮らしたいという願望は見られない。
(※dragoner注:「72名の乙女」とは、イスラムの聖戦(ジハード)において、ジハードの戦死者は天国で72名の乙女とキャッキャウフフできるとされている。つまり、イランは聖戦を起こす気はない、という事)
私は68になるが、「72人の処女」という話を聞く度に、これは約束なのか、口で言われているだけなのか気になっている。
いずれにしてもイランとの共存は可能と思っている。
では、なぜネタニヤフはイランの事を言い、世界に発信しているのか。
答えとしては、ネタニヤフ氏が言っている事を信じるしかない。
戦争の後、誰しも自分の意見を持つようになった。
ただ、私は違う理屈を持っている。パレスチナにおけるシオニズムは百年を超える歴史を持つようになった。
このシオニズムの百年は、イスラエル人は世界に対し我々は小さく弱い国で、邪悪で強大なアラブ人に攻撃されていると訴えてきました。
我々に助けを、資金を、武器を。そうでないと我々はもっと恐ろしい事をせざるをえない。
確か、1955年にモーシェ・ダヤン氏が言った言葉だと思うが、我々は狂犬のように振る舞わなければならないといった。
これだけ世界中から支援を受けた国は、イスラエルをおいて他にないだろう。
人によっては、これまで世界から3000億ドルの支援をもらったという人もいます。
この世界のゲームにおけるチャンピオンは、シモン・ペレス氏、現在のイスラエル国家元首だ。
こんなにゲームがうまくいったのだから、それを辞める必要はないじゃないか。
しかし、オルメルト首相があるとき私に漏らしたが、これがイスラエルをおかしくしてしまったと。
だが、ネタニヤフ氏はそれを恐れていはいない。
組織
それでは、これまで国家を扱ってきたが、組織を見ていく。
21年前、私のもっとも知られる著書である「
The Transformation of War(邦題:「
戦争の変遷」)」という本が出た。
その本の中で、国家間の戦争はほとんど終わり、国家と非国家同士の戦争となるだろうと書いた。
その本が出版されたのは1991年で、出版したその日にイラクはクウェートに侵攻した。
私は運が悪かったと思う。(笑)
その時は、大規模な陸上軍が、第2次大戦以降最大の規模で動いていた時期であった。
私は、これは現在の姿だが、未来の姿ではないとその時に言っていた。
ですから、みなに私はおかしいと思われていた。(笑)
1994年、夜の12時半、シャワーを浴びていると電話が鳴った。
着るものも着ずに電話に出た所、相手は 「ビル・クリントンです。その本はどこで買えますか」と質問してきた。
恐らく、その時クリントン夫人とはお互い一緒に寝たくなかったのだと思う。
モニカ・ルインスキーと寝る前に、一緒に裸で寝るなら誰かと思い、私を選んだのだろう。(笑)
その後、国家間の戦争は非常に少なくなった。
あったとしてもイラクの状況くらいで、国家と組織が戦う状況になった。
現在も世界のあちこちで戦争は起きているが、国家と国家の戦争は一つもない。
そして、こういう国家と非国家組織との戦争は、シリアやイラクと起きている。
これについて話して、終わりにしたい。
3年前にシリアで内線が始まった時、アサド政権が早く崩壊して、自由民主的な政権が確立してほしいとイスラエルでも期待が高まった。
しかし、私はそういう考えは常に間違っていたと思う。
ご存知の通り、ジハード主義者はアサドを倒す事はできず、イラクはブッシュ大統領によって、国として体をなさないようになっていた。
このジハード主義者、ISISなどがイラクで勝てると思わない。
ヒズボッラーと比べ組織も小さく、数千人しかいない。イラクを席巻できるとは思わない。
彼らはカリフ制の国を実現できなかったなら、シリアからクウェートに至る広大な地域を、戦場あるいは被災地としてしまうのではないか。
そして、今現在、すでにそうなってしまっているのではないか。
もしそういうことになれば、それはイスラエルに重大な意味を持つ来よになる。
ヨルダンの不安定化やヨルダン王家が倒れる事になれば、それは大きな影響をもたらす。
この40年、イスラエルはテロとの戦いについて、それほどうまくいかなかった事は無いと考えている。
最近の少年3人の誘拐事件等、テロリストを完璧に押さえてはいないが、なんとかコントロールしており、生活できるまでにはなっている。
しかし、ヨルダンが、シリア・イラクまで含め不安定化し、アフガニスタン的状況になると重大なことになる。
1970年代以降、イスラエルにとってヨルダンの安定は大きな存在だった。
しかし、シャロン氏を含め、イスラエルでもヨルダンを守る事は間違いだったと考える人も多い。
ヨルダンの今の王家を守るのではなく、イスラエルは機会をみて王家を倒し、パレスチナをそこに作れば良いという考えがある。
シャロン氏も今は違うが、かつてこういう考えをもっていた。
しかし、私はこういう考えは悲劇をもたらすと思う。イスラエルの国民の多くも同じ考えだと思う。
しかし、ヨルダンの不安定化を望むジハード主義者、もしかしたら望んでいるかもしれないパレスチナ人らにより、実際に王家の打倒と不安定化が起こりうるかもしれない。
~講演終わり。質疑応答へ~
次は質疑応答編です。
【関連書籍】
クレフェルトの著作は多数あり、邦訳されているのもいくつかあります。
補給戦―何が勝敗を決定するのか (中公文庫BIBLIO)
クレフェルト自身は「戦争の変遷」を自身の代表作と考えているようですが、日本においては「補給戦」の方が知られているかもしれません。戦争における補給・兵站についてのクレフェルトの論考で、「名将ロンメル」への批判など、クレフェルトの通説への反論が光ります。
戦争の変遷
そのクレフェルト自身が、最も知られている著作だと語ったのが、"
The Transformation of War"の邦訳版「戦争の変遷」です。歴史的に戦争の形態がどのような変遷を遂げたかを概観し、20世紀に見られた国家間の戦争から、国家対非国家、非国家対非国家の戦争に変わっていくのではないかと予想しており、出版したその日に湾岸戦争という悲劇はあったものの、今現在の状況を的確に予見したと言えます。将来戦の様相だけでなく、過去の戦争に対する知見の深さも窺え、読み応えがあります。
エア・パワーの時代
日本におけるクレフェルト訳本の最新刊は「エア・パワーの時代」です。本書は戦略爆撃や近接航空攻撃に否定的で、またエア・パワーの勢力が2次大戦以降は年代と共に低下していると指摘し、さらに高騰する機体価格に警鐘を鳴らし、極めて高価だが極めて少数という組み合わせは軍事的退化の兆候とまで書いております。ド直球の正論は多くを敵に回しますが、クレフェルトはずっと止まりません。スゴイ!。