ラベル 政治 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 政治 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2014年7月6日日曜日

時代と共に変わってきた集団的自衛権の憲法解釈

これまで憲法解釈上認められてこなかった集団的自衛権の行使が、解釈の変更により認められるようになった事は、各種報道でご存知の方が大半と思います。

この解釈変更について報道各社は様々に報じていますが、「歴史的な転換」、「憲法の柱」等、解釈変更の重大性、歴史性を強調する論調が目立ちます。特に目立つのは、憲法9条では個別的自衛権のみが認められており、これが憲法の平和主義の根本だ、とする論調です。
 安倍内閣は1日夕の臨時閣議で、他国への攻撃に自衛隊が反撃する集団的自衛権の行使を認めるために、憲法解釈を変える閣議決定をした。歴代内閣は長年、憲法9条の解釈で集団的自衛権の行使を禁じてきた。安倍晋三首相は、その積み重ねを崩し、憲法の柱である平和主義を根本から覆す解釈改憲を行った。

 戦争放棄をうたった憲法9条と自衛権の関係をめぐる政府の解釈は、これまでも日本の安全保障環境の変化に伴って変遷してきた。限定的とはいえ、集団的自衛権の行使を可能にする今回の閣議決定は、個別的自衛権の行使を認めた1954年以来の大転換となる。

しかし、集団的自衛権を認めないとする解釈は、日本国憲法施行の後になって成立しており、解釈も時代により異なっていた事は、あまり報じられていないようです。集団的自衛権を、どのように政府は解釈していたのでしょうか。その変遷の過程を見て行きましょう。(※以降の引用部における強調部は全て筆者による)



「解釈に自信が無かった」集団的自衛権の始まり

集団的自衛権について、国会で最初に答弁が行われたのは、1947年12月21日の衆議院外務委員会の席上の事でした。当時の西村外務省條約局長の発言の中に出てきています。
ただ一つ新しい現象といたしましては、国際連合憲章の今申し上げました第五十條か五十一條かに、国家の單独の固有の自衞権という観念のほかに、集団的の自衞権というものを認めておりまして、そういう文字を使つております。この集団的自衞権というものが国際法上認められるかどうかと、いうことは、今日国際法の学者の方々の間に非常に議論が多い点でございまして、私ども実はその條文の解釈にはまつたく自信を持つておりません。

出典:西村熊雄 外務省條約局長の答弁(第七回国会 衆議院外務委員会議事録第一号)
この時点で、集団的自衛権については国際法学者でも議論があり、政府としても解釈が存在しなかった事が窺えます。念の為に書いておきますが、この答弁の前年に日本国憲法は公布されていおり、集団的自衛権についての憲法解釈は存在していませんでした。

翌年の同委員会において、中曽根康弘議員からの質問に際し、西村局長はこうも答えています。
中曽根康弘議員「そこでお聞きいたしたいと思うのでありますが、この集団的自衛権の問題です。それは国家の基本権として、国家が成立するからには当然認められる権利なんですか。」

西村局長「もちろんそう考えております。」

出典:第七回国会 衆議院外務委員会議事録第七号
少なくとも、この時点では集団的自衛権そのものについては議論があるものの、独立国家の基本権として認められる権利であろうとの見解です。これら最初期の国会答弁で確かなのは、集団的自衛権は独立国の権利として存在するが、独立国としての日本(当時は連合軍占領下)に認められるものかは曖昧なままであるばかりか、集団的自衛権そのものの解釈も怪しい状況でした。

朝鮮戦争の最中の1951年、国会答弁で初めて集団的自衛権についての解釈が登場します。西村條約局長の2月21日の答弁を見てみましょう。
集団的自衛権というものは一つの武力攻撃が発生する、そのことによつてひとしくそれに対して固有の自衛権を発動し得る立場にある国々が、共同して対抗措置を講ずることを認めた規定であると解釈すべきものであろうと思うのであります。

出典:西村局長(第十回国会 衆議院外務委員会議事録第六号)
ここで初めて、集団的自衛権についての解釈が出てきます。ですが、日本国憲法との関係は未だ明らかでありません。ようやくこの年の11月7日になって、日本国憲法における集団的自衛権の解釈が登場します。
日本は独立国でございますから、集団的自衛権も個別的自衛権も完全に持つわけでございます、持つております。併し憲法第九條によりまして、日本は自発的にその自衛権を行使する最も有効な手段でありまする軍備は一切持たないということにしております。又交戦者の立場にも一切立たないということにしております。ですから、我々はこの憲法を堅持する限りは御懸念のようなことは断じてやつてはいけないし、又他国が日本に対してこれを要請することもあり得ないと信ずる次第でございます。

出典:西村局長(第十二回国会 参議院平和条約及び日米安全保障条約特別委員会会議録十二号)
ここに至り、日本は集団的自衛権を持つが憲法上行使できないという、違憲解釈の原型が示されました。日本国憲法公布から5年を経て、初めて解釈が示されました。この基本に沿った違憲解釈は1972年に決算委員会資料、さらに1981年の答弁書(答弁書本文)の2文書に記された事によって確立されたとされています。

このように、集団的自衛権の違憲解釈は憲法よりずっと後に確立したもので、最初から憲法で禁止されていたとは見做されてませんでした。



禁じられていなかった集団的自衛権の行使

ところが問題はまだ残ります。どこまでを集団的自衛権と看做すのかという点です。1960年、林修三法制局(現・内閣法制局)長官はこのような答弁をしています。
たとえば現在の安保条約におきまして、米国に対して施設区域を提供いたしております。あるいは米国と他の国、米国が他の国の侵略を受けた場合に、これに対してあるいは経済的な援助を与えるというようなこと、こういうことを集団的自衛権というような言葉で理解すれば、こういうものを私は日本の憲法は否定しておるものとは考えません。

出典:林修三法制局長官(第三十四回国会 参院予算委員会会議録第二十三号)
ここで林長官は、経済的援助や基地の提供等は憲法も否定していないという見解を述べています。現実に1991年の湾岸戦争は、クウェートを侵略したイラクに対する集団的自衛権集団安全保障の行使の典型例ですが、日本は多国籍軍に対して経済的な支援を行っています。

また、現在の複雑な国際環境においては、個別的自衛権と集団的自衛権を厳密に分けるのが難しいという問題もあります。この問題について、日米安保条約・在日米軍が憲法9条に反し違憲であると争われた砂川事件の1959年最高裁判決の中で、田中耕太郎最高裁長官は補足意見としてこのように述べています。
今日はもはや厳格な意味での自衛の観念は存在せず、自衛はすなわち「他衛」、他衛はすなわち自衛という関係があるのみである。従つて自国の防衛にしろ、他国の防衛への協力にしろ、各国はこれについて義務を負担しているものと認められるのである。

この判決の中で、田中最高裁長官は自衛の概念について、他衛も自衛も同様の物であるとした上で、それが各国の義務であるとしています。この解釈に立てば、集団的自衛権の行使は否定されておらず、もちろん違憲ではありません。

このように1959年の最高裁長官、1960年の法制局長官は、集団的自衛権の行使を部分的に認めていました。しかし、1960年代以降は国会での駆け引きの結果、先の2文書に見られるような内閣法制局による違憲解釈が取られるようになりました。

本来、憲法解釈について、単なる行政府の一機関である内閣法制局による判断が、総理大臣、果てや最高裁判所長官の判断に優越するなんて事はありませんし、現在の内閣法制局長官は変更解釈の変更は可能としています。憲法解釈そのものを「憲政の破壊」とする一部報道こそ、憲法とその解釈確立と変遷を無視した、憲法を蔑ろにする行為であると言えます。



憲法9条と国際協同体に対する義務は矛盾しない

最後に。世界で集団的自衛権の概念を初めて明示した国連憲章ですが、その第43条に国際平和が脅かされる事態に際して「すべての国際連合加盟国は、安全保障理事会の要請に基き且つ一つ又は二つ以上の特別協定に従って、国際の平和及び安全の維持に必要な兵力、援助及び便益を安全保障理事会に利用させることを約束する」と、国連加盟国による兵力供出を義務付けています。これはまさに集団的自衛権そのものですが、かつての集団的自衛権行使を認めない解釈では、この国連憲章の義務の履行は出来ません。これは集団安全保障として機能する建前ですが、現実的には大国の拒否権により国連安保理で否決される可能性が高い為、地域機構による安全保障を可能とする概念として、集団的自衛権が誕生しました。そして、アメリカの集団的自衛権に依存した安全保障が、日米安保条約です。

今回の解釈変更により、集団的自衛権の行使が可能となりましたが、国連の集団安全保障に基づく派兵についてはどうでしょうか。
このような憲法9条解釈と国連憲章43条の国際協同体に対する義務の相剋について、砂川事件判決文にこのように記されています。
憲法九条の平和主義の精神は、憲法前文の理念と相まつて不動である。それは侵略戦争と国際紛争解決のための武力行使を永久に放棄する。しかしこれによつてわが国が平和と安全のための国際協同体に対する義務を当然免除されたものと誤解してはならない。我々として、憲法前文に反省的に述べられているところの、自国本位の立場を去つて普遍的な政治道徳に従う立場をとらないかぎり、すなわち国際的次元に立脚して考えないかぎり、憲法九条を矛盾なく正しく解釈することはできないのである。

半世紀以上前の文章ですが、まるで現在を見通したかのような内容です。国際的な視野に立ってこそ、憲法9条は矛盾なく解釈する事が可能であり、国際協同体の義務履行と憲法9条は矛盾しない事が謳われています。

ここまで見てきた事から、憲法解釈は時代とともに変わってきた事、過去に集団的自衛権の行使を認めた解釈が存在した事がお分かり頂けたと思います。今回の憲法解釈の変更は、半世紀前に示された国際協調への回帰とも言えるでしょう。

しかし、理想の実現も大事ではありますが、理想の実現に大きな代償を支払わされる時が来るかもしれず、代償を払っても実現できる保証はありません。今回の憲法解釈変更を巡る議論は観念的なものが目立ち、賛成・反対双方で現実的なシチュエーションとリスクについて徹底的な議論がなされたとは思えません。そもそも、憲法前文に掲げる日本の理想とは何か、どのように実現していくのかという根本的な疑問について、今まで真剣な議論がなされた事があるでしょうか。それ以前に、憲法前文を知っている方がどれだけいるでしょうか。

これを機会に、日本国民が目指す理想とは何か、考えてみてもいいかもしれません。

※2014/07/06 22:10訂正:国連憲章51条に基づく集団的自衛権と集団安全保障について混同が見られるとのご指摘を受け、当該部を訂正致しました。赤字部分が追記となります。

【参考資料、及び理解の助けとなるサイト】

鈴木尊紘「憲法第9条と集団的自衛権 ―国会答弁から集団的自衛権解釈の変遷を見る―」(国立国会図書館)

国会図書館政治議会課憲法室の鈴木氏による、集団的自衛権を巡る国会答弁の変遷過程についての分析。解釈の変化について、時代毎に政府答弁から抽出し、時勢によりどのような議論がなされたかを明らかにしています。


苅部直 「「右傾化」のまぼろし――現代日本にみる国際主義と排外主義」(nippon.com)

東京大学法学部の苅部教授による「右傾化現象」についての考察。集団的自衛権行使容認は右傾化ではなく、戦後の憲法思想史においては集団的自衛権は日本国憲法の国際協調主義に合致するとの「積極的」意見が存在した事を提示。むしろ、右傾化への懸念を、粗野なナショナリズムを抑えた論議に繋げるよう提言しています。


細谷雄一「集団的自衛権をめぐる戦後政治」 IIPS Quarterly 第5巻第2号(2014年4月)

細谷雄一「集団的自衛権の行使容認に関する閣議決定」(細谷雄一の研究室から)

慶応大学法学部の細谷教授による論考とブログ記事。論考では佐藤政権時の転換により、その後の憲法解釈が拘束されるていく変遷過程を示し、その解釈の変更の必要性が何故必要かを論じています。ブログ記事では、各種の報道や国際的反応を踏まえた上で、これまでの解釈の問題点について分かりやすくまとめられています。


森本敏「武器輸出三原則はどうして見直されたのか?」

本稿では言及しませんでしたが、集団的自衛権の行使容認については、武器輸出三原則の変更も密接に関連しています。その背景について、元防衛大臣で拓殖大学大学院の森本教授が、防衛当局者の座談会をまとめるという形で明らかにしています。







2013年12月11日水曜日

オオカミ少年は死なず ~民主主義は何回死んだか~


特定秘密保護法が成立しましたね。

この法案を巡っては、反対論陣を張ったメディア、特に朝日新聞と毎日新聞が批判的な報道を連日繰り返していましたが、法案成立時に毎日新聞は「民主主義死す」とまで題した見出しをつけています。
特定秘密保護法:成立 軽々と、民主主義死す 「息苦しい世になるのか」

出典:毎日新聞 12月7日朝刊

民主主義が死んだとは穏やかではありませんね。本当に民主主義が死んだのであるならば、メディアによる政府批判や、私のような一介のブロガーが呑気にブログ書いてたりは出来ないと思うのですが、「民主主義が死ぬ」というフレーズは、昔から色んな政治家が、揉めた法案がある度に発言していた記憶があります。

そこで、平成以後に国会議員が発言した「民主主義の死」に類する発言をいくつかピックアップしてみた。(肩書はいずれも発言時)

自自公の数の横暴で民主主義が死にかけている。一日も早い解散を迫っていく。

出典:羽田孜(民主党幹事長)
2000年 福岡市内のホテルで開催された「新春のつどい」にて

理念なき妥協であり、有権者を愚ろうし議会制民主主義の死滅にもつながりかねない

出典:土井たか子(社民党党首):1999年 衆院比例定数削減について

PKO協力法案は平和的な国際貢献の名に値しない。自衛隊の海外派兵を最優先する悪法だ。全力で阻止する。参院での強行採決以来、我々が考えてきた国会のルールが踏みにじられ、議会制民主主義が死滅せざるを得ない。

出典:田辺誠(社会党委員長):1992年 党内の朝の代議士会挨拶にて

採決は無効だ。自公民3党で決めたことで国会が動くようでは議会制民主主義は死滅だ

出典:田辺誠(社会党委員長):1992年 PKO法案特別委員会の採決後に

皆さん、軽々しく民主主義を殺しすぎですね。もう20年以上前のもあるんですが、死者に鞭打ちすぎだと思います。

さて、このように「民主主義の死」と煽る人物に共通するのは、代議士制における民主的意見集約手段である選挙結果を無視し、審議の打ち切りと強行採決を持ってして「死んだ」「死ぬ」と言っている点ですが、民主党が与党時代に強行採決を繰り返した事は周知の通りですし、社会党の田辺委員長に至っては、PKO法案を巡り2回も「民主主義の死」を発言していますが、その後に社会党は自社さ連立政権を組むにあたり、自衛隊合憲・PKO派遣も認めるように方向転換しました。「民主主義は死んだ」と抜かす人に限って、民主主義を「殺す」側に入る事には躊躇しないのはどういうことなんでしょうか。

今回の秘密保護法を巡っては、反対論陣側はいたずらに危険性を煽り立てるものばかりで、法案そのものを完全否定するあまり、法案が抱える問題点そのものの議論が尽くされず、非常に残念なものとなりました。もっとも、法案は改正することが出来ますし、今後に非自民党政権が成立する可能性だって十分ありますから、その際に改正を議論してくれれば良いと思います。しかし、過去に「民主主義の死」を連呼したオオカミ少年たち(オオカミ爺さんと婆さんですが)が、その後に民主主義を殺して回った事実を見ますと、あまり期待できそうにないと暗澹たる思いがあります。




2013年11月6日水曜日

中核派が天皇の権威に屈したようです

山本太郎参議院議員が天皇陛下に「直訴」した件、山本議員の進退を巡って未だに燻り続けておりますが、11月4日、山本議員に力強い応援が現れたようです。

山本太郎議員を擁護する中核派機関紙「前進」紙面
10月31日に行われた園遊会で、福島原発事故が引き起こしている深刻極まる現実を訴えて、山本太郎参院議員が天皇に手紙を直接渡した。このことに対し、自民党を始めとする国会の与野党およびマスコミが、山本氏に許すことのできない卑劣な攻撃を集中している。山本氏に「議員辞職」を迫ったり、参議院としての処分を検討したりと、天皇制イデオロギーと白色テロルの恫喝による、山本氏の闘いの圧殺がたくらまれている。


へー(棒)。

山本太郎議員が選挙運動にあたり、「革命的共産主義者同盟全国委員会」こと、過激派の中核派とその関連団体から支援を受けていた事は知られています。今回の直訴の件を報道で知った時、「中核派から支援を受けて当選した山本議員が、よりにもよって天皇の権威にすがちゃって大丈夫?」とか思ったものですが、過激派の支援を受けて当選した国会議員が、就任早々に議員権力の行使をすっ飛ばして天皇の権威の前にひれ伏したんですから、これ日本の極左団体史に残る大事件なんじゃないでしょうか。直訴以降、山本議員の扱いを中核派はどうするのかなー?とウォッチを続けていましたが、遂に山本議員をどこまでも決死擁衛する腹を決めたようです。

大恐慌下に最末期の脱落日帝・新自由主義の危機の中で、天皇制が「帝国主義ブルジョアジーの反革命的結集のシンボル」として登場してくることに対しては、労働者階級人民の「生きさせろ!」の怒りと決起がさらに激しく巻き起こっていく。われわれはどこまでも山本氏とともに、国鉄決戦と反原発決戦を軸に闘いぬくであろう。


天皇制をシンボルとして担ぎ上げたのは他ならぬ山本議員なんですがそれは……(震え声)。一度支援してしまった手前、引くに引けない泥沼状況に自らを追い込んでしまったのは御愁傷様です。

さて、その中核派ですが、今年になって幹部である荒川碩哉氏が公安のスパイだった事が発覚して、絶賛大揉め中です。内部分裂の火種を大量に抱えて、空中分解の最中でありますが、この山本議員の支援を巡ってもどうなることでしょうか。要注目です。


結局のところ、山本太郎議員の直訴で割りを食ったのは、中核派と、山本太郎と1字違いで抗議メールが殺到したやまもといちろう氏と言えそうです。