2015年4月25日土曜日

「人はネットだけで生きていけるか」を2年ほどやってみた結果

はい、こんにちは。dragonerです。テキトーに生きてます(前振り)。

Twitter見ている方には既報ですが、まずはご報告。

ブログ記事を寄稿しているYahoo!ニュース 個人にて、「戦艦武蔵発見で考える海没遺骨」が月間MVAを受賞しました。やったねたえちゃん!

で、その受賞知らされる前、こんなんツイートしてました。


これにプラスMVA副賞の10万円なので、さらに収入増えたよ! やったね!

前に相互フォロー某氏と飲んだ時、「ところで、dragonerさんって今ナニやって生活してんですか?」と聞かれたくらいフォロワーにとっても職業不詳おじさんで、正直自分でも何やってるのか説明つかない状況でしたが、なんとか2年で軌道に乗れた感じです。

仮にもリーマン生活を送っていた人間が、何を血迷ってネットから収入を得て生きる冥府魔道へと足を踏み入れたのか。決定に至るまでの皮算用とその経過、そして現時点までの結果をまとめてみた。


そもそもの経緯


そもそもの経緯はこんな感じである。





辞めよう(決意)



よし、大学院入りなおして出直そう(安易な学歴ロンダ)



2012年終わり頃「大学院、もうすぐ修了しちゃうね」



ちょっとだけ就活する



国家公務員とかNGOとかの面接落ちた。もう面接したくない。



_人人人人人人人_
>  修了(終了) <
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄


アカン。大学追い出された。とても気に入っていたのに。

ここに書いた経緯は色々差っ引いたり、脚色もあったりするが、少なくとも嘘は言っていない。

さて、これからどうやって生きていこうかと、あれこれ考え始めたのは2013年始めの頃。

まずは収入をどうするかという最優先事項。

会社は辞めたし、失業保険は既に切れていたが、その時点でAmazonアソシエイト・プログラムからのアマゾンギフトカード収入が、月々ハードカバー数冊買える程度入っていた。これをちょっと研究して、ネットのマネタイズ手法色々組み合わせれば、なんとかなるんじゃね? という実に安易な考えが浮かんだ。

悪名高きユーチューバーのキャッチコピー、「好きなことで、生きていく」は当時まだ無かったが、ネットでそこそこ好きなことやりつつ、ゆるく生きていこうと、このあたりでゆるく決意した。


自分の"武器"はなんだ?

決意したあたりで、ネットにおける自分の価値、あるいは"武器"を整理した。

自分が"dragoner"の固定ハンドルネームを名乗り始めたのは2008年。軍事系ブログを立ちあげ、まあそこそこの規模があったが、サボりがちで閲覧数もそんなに無い。

Twitterは2010年1月に始めてから、2013年3月31日でフォロワー数5622。少なくはないが、ジャスティン・ビーバーみたいにクソみたいな事呟いただけで10万Favくるようなパワーは無い。当面はフォロワー数が一つの指標になるだろうと考えた。

ブログとTwitter、この2つだけ。さて、この2つでどうやってネットで生きていくか。


先行者(非ロボット)たち

まず、ドロップアウトというか脱サラして別の道を進まれている先人について考えてみた。まず思い浮かんだのが……


イケダハヤト師

正直、この人の人格に対する敬意は一切無いんだけど、ネットで食っていくという点において、やはり避けては通れない人なのも事実。

ぶっちゃけこの人、特にキレ味のある文章や論評書ける人じゃないし、専門と言える分野も無い人だけど、なんでもかんでも頭突っ込んで書く姿勢は、ネット界の大川隆法霊言本と言っても過言ではなく、その1点においても賞賛に値すると思いますよ。

でも、真似は出来ないし、したくない。じゃあどうするか。

とりあえず、イケハヤ師に倣う点はコンテンツ基本無料の点のみとし、他は自分の効率性を測るためのベンチマークとした。

と言うのも、イケハヤ師は収入などのデータを公開している数少ない人なので、自分の収入と比較する事が出来るし、イケハヤ師の仕事ぶりはネットで閲覧、計量可能だ。つまり、「イケハヤ師と同等の収入があると仮定し、イケハヤ師の労力のX分の1でそれを得たか?」という指標にする。ざっくり言うと、イケハヤ師がぼくの3倍稼いでても、ぼくの10倍の労力を費やしているのなら、Xは3以上になる。

このXをイケハヤ指数として、最低でも3以上を目標にしようと決めた。イケハヤ師の仕事量を一々計算はしないが、おおむねこの程度書いているから労力はこのくらいで、と相当ざっくりとした基準で推計している。この指数が下がったら、あー俺才能無いというか、何か間違ってるから方法変えよう、という後ろ向きな基準として設定。

これが1下回ったらデッドエンドですよ。だって、ネット中の人がイケハヤ師の真似して同じ労力注ぎ込んでネット活動始めたら、あっという間にイケハヤ師埋没してしまいますよ。だから効率はイケハヤ師に比して、高めに設定しなければならない。


小泉悠氏

お互いに面識ありますが、ここで名前が挙がっているのをご本人が見たら、「うわぁ……」とイヤな顔される事は想像に難くなく、大変申し訳ない気持ちでいっぱいです。テレビでもお馴染みの、ロシアを中心とする軍事問題の専門家の小泉悠氏です。

クリミア危機以降、テレビへの露出も増えられましたが、氏は脱サラ後に外務省の専門分析員として勤務し、ロシアへの研究者派遣を経て、現在は研究所に勤務しつつ、著述活動も行われています。

軍事関連とはいえ、向こうはプロ研究者、こっちはアマチュアなので、そもそも同じ土俵ですらないのだが、リーマン生活から抜けて専門性で売るとは何か?と、氏の活動から考えていた。言うまでもなく、氏の専門はロシアであり、クリミア危機などでホットな領域となった今、活躍の場を拡げられている。

専門性で躍進する氏を見てから、自分を省みる。


一口に軍事マニアと言っても、軍事は人類の歴史分の厚みがあるので、その実態は人によりまるで異なる。特定国に詳しい人もいれば、現代より歴史の方が好きな人、装備ヲタもいれば、サバイバルゲーム好きもいるし、本当に傭兵に行っちゃう肉体派もいる。

その実、自分はどうかというと、特に軍事で詳しい領域というものが無い事に気づいた。とにかく手当たり次第、興味が湧いたものから手を付けては飽きるを繰り返していたので、専門性が無い。

ではどうするか? 結論から言うと、専門性を捨てる事にした。

念の為に言うと、これは「軍事」という自分の領域を諦める事ではない。「軍事」の中の細分化された専門性を捨て、軍事一般の事象をマスを相手にして書こうと考えた。

どんな分野にでも言える事だけど、その分野の専門家がいる階層と、世間一般の階層の常識は異なる。歴史学なんかが良い例で、史学では織田信長の先進性はとっくに否定されているが、未だに世間では信長の先進性を説く人で溢れている。この階層間のギャップを利用する事にし、マニア層ではなくマスをターゲットにして、平易に軍事問題を説くことにした。


この2人の先人を参考に(n数がとっても少ない気がするが)、自分の取るべき方向性を決定した。

当面の方針

さて、ネットで人は生きていけるか、というチャレンジを始める準備は出来た。

このチャレンジをするにあたり、以下の方針を立てた。

無理に数はこなさない

イケハヤ師のように、とにかく数勝負もあるかもしれないが、自分には無理だし、下手に数をこなすと飽きられる恐れがあると思った。

数こなす分をインプットに投じて、アウトプットの質を上げていく事にした。幸い、インプットはそれなりに面白い。イケハヤ指数を高める事は、QOLを高める事でもある。自分で自分の仕事をつまらなくするのは良くない。

読者から金は取らない。基本無料

コンテンツデフレと言われて久しいが、ネットではコンテンツ無料が当たり前の状況になっている。この風潮に関しては批判も多いし歪だと思うが、現に市場がそうなっている以上、真っ向とこれに立ち向かうのは下策。こちらが環境に適応しなければ生き残れない。対価を読者から取るのは無し。

古くからあるネットでのマネタイズ手法として、有料メールマガジン配信がある。有料会員制サイトもこの括りに入れていいと思うけど、このような定期的に自分からコンテンツを作り出し、配信するのは自分には無理だと最初から決めていたし、今でもそう思っている。無料・有料の差別化が難しい上、価値のあるものが出来たとしても、それは極少数にしか配信されず、結果として自分へのリターンは少なくなるからだ。全面的にオープンでいい。

そもそも、Twitterのフォロワーやブログの読者が自分に求めているものはなんだ? 結論から言うと、それはただの暇つぶしでしかない。その暇つぶしが、読者に百円でも負担を強いて良いのか? 良くないに決まってる。

そういうわけで、アフィリエイトや広告等は貼るが、コンテンツそのものには課金一切無しという形にした。ここはイケハヤ師や2chまとめブログに倣った。なお、同人誌のようなコストかかるものは別。そもそも同人誌はマス向けに書いているものじゃないので……。

軍事中心にいくが専門的に深めずマスを狙う

先に書いた通りの方針だが、カバーする範囲は広く浅くを心がけ、引き出しを多くする事にした。その方が、時事に関連付けて記事化するのが容易だと言う事は後々やってみて分かったので、正解だったと思う。

また、文章だけでなく、YouTubeやニコ動などの映像系、あるいは他のSNSも利用して、その方面のユーザーを取り込む事にした。

出版系は当面無し

軍事評論家の故江畑謙介氏(愛称:エバケン)は、潜水艦設計したくて某重工メーカーに就職したけど、潜水艦関係の部署に入れなかったので退職。大学院に入り直し、院在籍中は軍事雑誌に投稿して学費を稼いでたという伝説のある人物だが、果たして今これと同じ事が自分に出来るのか、という問題があった。

少なくとも、自分にエバケンの才は無い。おまけに現在の出版不況は軍事雑誌とて例外では無く、年々小さくなるパイに新参として入っても、色々と面倒くさいだろうという事で封印。実は軍事系雑誌って、記事募集してるとこもあったりするんですけど、当面は様子見で、自分から打って出るのは控えよう。


まとめブログはやらない

YouTubeやニコ動、SNS等配信手段は多様化するが、その一方で禁止事項として。

ネットで食っていく手段の一つとして、2chまとめブログという選択肢もあるだろうけど、以下の理由により却下。

■ネガティブイメージ大きすぎ

説明の必要は無いでしょう。大多数のまとめ管理人と同じように匿名でやればいいのかもしれないけど、それだと1からのスタートとなり、泡沫まとめブログとなって終わるだけ。

■物量戦挑んでも負ける

まとめブログはとにかくスピードと量勝負だけど、明らかに分業、組織的にやっていると思しきまとめブログすらある状況で、今から個人が始めたところで追いつくのは無理。市況かぶ全力2階建のような、独特のセンスを持つニッチ分野のまとめブログなら勝機はあるかもしれないが、それが自分に出来るとも思わない。

■後がない

まとめブログみたいな真っ黒寄りのグレーなコンテンツが、今後も長く生き残れるはずなかろうて。今後の見通しが無いならリスクの塊。


2年経過して

まあ、なんとか生きてます。色々模索していた時もありましたが、落ち着いてきました。

ユーチューバーみたいに自分を売る事もせず、2chまとめブログにも手を染めず、半匿名東方アイコンのままでネットで生活出来たのは、上出来かなと思っています。

独身で親同居なのが大きいのは事実ですが、2014年には2回、2週間ほど海外旅行にも行けたし、犬を飼い始めるくらいには時間的・金銭的余裕も出来たなあ、と。ワーキング・プアと言うには全然働いてないので、QOL高く生きられていると思っています。

まあ、生存者バイアスなのは間違いないですが。高齢になったらヤバいけど、肉体使わない分だけ対応は楽だと思いたい。


これからの課題

「いつまでも あると思うな ネットのカネ」

Amazonアソシエイト・プログラム様には何度も紹介料改定という名の料率下げをして頂いたため、「お、だいぶ売上上がったな」 → 「また値切られたよ……」が繰り返されることとなった。TwitterでウザったくAmazon商品紹介ツイートしてゴメンナサイ。

また、幸運にもオーサーに入れたもらったYahoo!ニュース個人。今年に入り、料率上げその他インセンティブ制度と随分羽振りが良くなったが、景況に左右される広告収入ベースのままだといつどうなるか分かったもんじゃない。

とりあえずは、現在のネットをベーシック・インカムとして固めつつ、さらに別の道を模索して種をまく日々。果たして明日はどっちだ。


おわりに

SNS見渡すと、会社つらい辞めたい言ってる人ばかりなので、本当に壊れてしまいそうなら、こういう道もあるかとは思うんですがどうでしょうね。

自分の話は生存者バイアスかかってるのは確実だし、このテキストはそもそもの始まりと結果だけで、経過と具体的な施策について一切書いてないので、他人にお勧めはしませんが。

結論としては、「好きなことで、生きていく」のはそれなりにしんどいし、そこで折られたら再起不能になるかもしれないけど、「そこそこ好きなことで、ゆるく生きる」のはなんとかなりました。

【関連】

note:「Yahoo!ニュース個人オーサーカンファレンスについてのあれこれ」 

昨年末のYahoo!ニュース個人オーサーカンファレンスに関連し、色々模索している頃に行ったYouTubeの話とか。今をときめく「ユーチューバー」の起源が少しだけ明らかにされる。100円と表示されてるけど、全部無料で読めます。面白かった人だけ払ってねという、深夜の駅前でギター弾いてる兄ちゃん方式。


Amazon.co.jp

ここが無かったら、正直ネットで生きていこうと思わなかっただろうというくらいです。このリンク経由で買い物すると、私にお金が入る仕組み。

※追記:イケハヤ指数あたりの説明があまりに不十分過ぎたし、脱字も多かったので加筆しました。(4/26 04:00)

2015年4月14日火曜日

”大艦巨砲主義”のまぼろし

否定表現としての”大艦巨砲主義”

日本海軍の戦艦大和が沈んでから、今年の4月7日で70年を迎えました。その節目とあってか、いくつかのメディアで大和を題材にした記事を見かけましたが、その一つにこんなのがありました。

世界最大の46センチ主砲が敵戦艦に火を噴くことはなく、この最後の艦隊出撃で、撃墜したとされる敵機はわずか3機だった。大艦巨砲主義の誇大妄想が生んだ不沈戦艦への“信仰”に対し、宗教家の山折哲雄さん(83)は「大和とは、いびつな時代のいびつな象徴だった」と指摘する。



毎日新聞の記事では、宗教家の言葉を引く形で「大艦巨砲主義の誇大妄想」とそれが生んだ「浮沈戦艦への信仰」と、批判的・否定的なトーンで伝えています。NHKでも過去に歴史ドキュメンタリー番組「その時歴史が動いた」で『戦艦大和沈没 大艦巨砲主義の悲劇』を放映していましたし、ざっと例を挙げられるだけでも、戦艦大和を大艦巨砲主義の象徴として批判的に扱うメディアは多いようです。

このように、「第二次大戦では強力な戦艦を主力とする大艦巨砲主義を空母機動部隊を中心とする航空主兵思想が真珠湾攻撃、マレー沖海戦で打ち破ったが、初戦の勝利に囚われた日本は大艦巨砲主義に固執し、逆に初戦の失敗から学んだアメリカは航空戦力で盛り返した」のような説明をする本や人はよく見られますね。

真珠湾攻撃で日本海軍機の攻撃を受ける米戦艦(ウィキメディア・コモンズより

ところで、この大艦巨砲主義という言葉。大雑把に言えば、敵を撃破するために大きな戦艦に巨砲を積むという思想ですが、現在でも時代遅れの考えを批判する際に使われています。近年、メディアでどういう風に使われたのか、ちょっと見てみましょう。


  • 「安倍政権の原発政策は、時代遅れの大艦巨砲主義」(マスコミ市民,2013年8月)
  • 「生産部門におもねる豊田家--復活する「大艦巨砲主義」 」(選択,2011年4月)
  • 「時代錯誤の「大艦巨砲主義」か「日の丸」製造業の大再編」(月刊ベルダ,1999年10月)


製造業に関わる批判例が多いですね。重厚長大な製造業イメージが、大きいフネに巨砲を載せる大艦巨砲主義と重ねて見えるので、このような批判的意味合いを持った比喩表現として使われているのだと思います。いずれにしても、現代において「大艦巨砲主義」とは、敗北のイメージを持った、ネガティブな言葉と言えるでしょう。


大艦巨砲主義ニッポン。戦艦何隻建造した?

では、第二次大戦中の日本はどのくらい大艦巨砲主義に毒されていたのでしょうか? 

第一次大戦後、列強各国は重い財政負担となっていた建艦競争を抑えるため、海軍軍縮条約を結び各国の戦艦建造・保有に制限をかけ、軍拡競争に歯止めをかけました。この軍縮条約以前の時代こそ、大艦巨砲主義と言える思想が世界に蔓延っていたと言っても良いかもしれません。

この海軍軍縮条約は1936年末に失効を迎えたため、以降は自国の好きなだけ戦艦を建造出来ます。大艦巨砲主義の日本は、きっとどこよりも大量に建造している事でしょう。軍縮条約失効以降に建造された戦艦を、日米英の3カ国で比較しました。

海軍軍縮条約失効以降の日米英戦艦建造一覧

……あれ? 建造数・進水数共に日本がブッちぎりで少ないですね。アメリカは12隻起工して10隻進水、イギリスは6隻起工して全て進水させているのに対し、日本は大和型を4隻起工して大和と武蔵の2隻進水、信濃1隻は空母に転用、もう1隻は建造中止で解体されています。戦艦として進水した数で見ると、日米英で2:10:6です。アメリカの5分の1、イギリスの3分の1の数です。さらに言えばイタリアが建造した戦艦(3隻)より日本の建造数は少なく、列強国の中で最低の数です。

こうして各国の戦艦建造実績を比較すると、日本が戦艦に偏重していた訳ではない事が分かります。もっとも、これは多国間の比較であり、工業力の差が現れただけ、という見方もあるかもしれません。

しかしながら、開戦に先立つ1941年11月には大和型戦艦3番艦、4番艦の建造は中止され、後に3番艦は空母に変更されている事からも、開戦準備の段階で戦艦以外の艦艇が優先されているのが分かります。よく見られる言説に「真珠湾攻撃やマレー沖海戦で航空機が戦艦を撃沈し、大艦巨砲主義の時代が終わった」というものがありますが、それらの戦闘が行われる1ヶ月前に日本はこれ以上戦艦を建造しない方針が取られているのです。


次々”航空化”させられた日本の戦艦

ここまでは軍縮条約失効以降の新戦艦建造を見てきましたが、今度は従来から保有していた旧式戦艦の扱いを見てみましょう。

太平洋戦争開戦時、日本は戦艦を10隻保有していましたが(大和型2隻は戦中に就役)、いずれも軍縮条約以前に建造された戦艦で、最も新しい戦艦陸奥でも就役から20年が経過していました。中でも低速で威力の劣る35.6センチ(14インチ)砲搭載の扶桑型・伊勢型の4隻は、戦艦戦力として期待されておらず、伊勢型2隻は航空機を搭載する航空戦艦に改装され、扶桑型2隻は航空戦艦あるいは空母への改装が計画されるほどでした。

航空戦艦改装後の伊勢。後部の主砲が撤去されてる(ウィキメディア・コモンズより

このように戦力価値の低い戦艦は航空戦艦・空母に転用が計画されていた訳ですが、このような方針を大艦巨砲主義を掲げる組織が行うでしょうか? 空母4隻を失ったミッドウェー海戦後も空母や補助艦艇の建造はされますが、戦艦建造は一顧だにされません。対して、イギリスは戦争が終わっても戦艦を作り続けましたし、アメリカに至っては1991年の湾岸戦争でも戦艦を出撃させてますが、別に大艦巨砲主義と呼ばれる事はありません。何かヘンですよね?

湾岸戦争でイラク軍を砲撃する戦艦ミズーリ(ウィキメディア・コモンズより


「巨大」なモノへの信仰から大和を造った?

日本海軍にとっての戦艦の扱いがこのような状況にも関わらず、なぜ日本海軍は大艦巨砲主義だと言われていたのでしょうか?

大和型が世界最大の3連装46センチ(18インチ)砲を搭載していた世界最大の戦艦であった事、つまり「巨大」であった事が考えられます。例えば、先の毎日新聞の記事中では、こんな事が書かれています。

「大国主命、奈良の大仏……。古来、日本人は『巨大なるもの』への信仰がある」。宗教学者の山折さんは説明する。ただし、もちろん、巨大戦艦は神仏などではなかった。



このように、日本人の巨大さそのものへの信仰が大和を生んだとする言説もちょくちょく見られます。しかし、失敗の原因を民族性に求める言説はあまりに大雑把過ぎます。このような言説に対し、航空主兵の尖兵である航空自衛隊教育集団の澄川2等空佐は、大和型建造の目的について以下のように説明し反論しています。

「強力な攻撃力を追求することであって、単なる巨大さへの信奉では決してない。大和級の設計概念は、小さく造る事である。(中略)18インチというという世界最大の艦砲を9門も搭載し、その18インチ砲に対抗しうる防御力を有しながらも、全体が当初の考えどおりコンパクトな艦体にまとめられたというのが大和級戦艦の特徴である」

出典:澄川浩「日本海軍と大艦巨砲主義」朋友26巻4号

大和型は強力な攻撃力と防御力を小さな艦に収めた事を特徴としており、大きい事それ自体は目的では無い、と否定しています。考えてみれば当たり前の話で、大きいとコストもかかれば燃費も悪くなります。大きさに信仰なんてものは関係なく、当時の状況と判断と技術がそうさせた結果であり、信仰にその原因を求めるのは問題を単純化して見ようとする悪い例です。

しかし、大和型を建造させた判断とはどのようなものだったのでしょうか? そして何故、結果的とは言え世界最大になったのでしょうか。大和型建造に至るまでの日本海軍が置かれた状況と、判断を見てみましょう。


なぜ大和は建造された?

当時の状況と判断について、先に挙げた澄川2等空佐が、空自の部内誌で以下のようにまとめています。

演習や実験においていかに航空攻撃力がその可能性を見いだしたとしても、実戦においてその威力を示すまではどのような用兵者もその価値を信じ切るには至らないというのが本当のところだと考える。戦艦無用論がいかに強く提唱されても国の命運を賭けてまで、戦艦の砲戦力を全廃することなど到底採りうる方策ではなかったというのが現実である。

出典:澄川浩「日本海軍と大艦巨砲主義」朋友26巻4号


大和型以前の日本戦艦、つまり建造から20年近く経過した旧式戦艦では、海軍軍縮条約失効後に建造される他国の新戦艦に対抗出来ませんでした。しかも、大和型が計画された当時はまだ、澄川2佐が言うように、航空機による戦艦撃破は一度も実証されていません。実験では撃破の可能性が示唆されていたものの、停泊中の戦艦に対しては1940年のタラント空襲と1941年の真珠湾攻撃、作戦行動中の戦艦に対しては1941年のマレー沖海戦が起きるまで実例がありませんでした。このため、対抗上新戦艦が必要だったのです。

サウスダコタ級戦艦マサチューセッツ(写真中央、ウィキメディア・コモンズより



大和型が巨砲を持って生まれたのも理由があります。当時の日本の国力では空母建造と並行して戦艦を揃えるのは不可能なため、建造出来る戦艦の数は限られました。数の劣位を、質でなんとか埋めようとしていたのです。戦艦は最も大量生産からかけ離れた兵器で、アメリカでも戦艦を同じ海域に大量投入する事は難しかったため、この考えはそれなりに説得力がありました。


大和型が活躍出来なかったのは何故?

しかしながら、大和型建造が大艦巨砲主義によるものではないとしても、大和型はさして戦果を挙げていません。この事実は、大艦巨砲主義の欠陥を説明する上で、よく根拠として出されているものです。トラック泊地に投錨したままの状態が多かった大和は、「大和ホテル」とアダ名されたと言われています。ソロモン諸島やニューギニアで熾烈な海戦が行われ、アメリカの新戦艦サウスダコタ、ワシントンに戦艦霧島が撃沈される戦艦同士の砲撃戦も発生していましたが、大和はそれに加わりませんでした。

この原因として、城西国際大学の森雅雄准教授はいくつかの説を挙げています。

  • 大和には聯合艦隊司令部が置かれているので容易に移動できない
  • 燃料の不足(宇垣纏第一戦隊司令、淵田美津雄航空参謀ら)
  • 怯懦(きょうだ)のせい(御田俊一)

このように推測出来る理由は複数ありますが、だからと言って戦艦が活躍出来なかった訳ではありません。森准教授・澄川2佐共に、日本が保有する戦艦で最も古い金剛型4隻が忙しく太平洋を行き来し、戦艦同士の戦闘から陸上砲撃、艦隊護衛と幅広い任務で活躍を見せている事を指摘しています。最古参の金剛型でこれですから、最新の大和型が活躍出来ない道理は無いのですが、結局のところ、日本海軍は大和型に活躍の場を与えることが出来なかったのです。これは上述の理由の通り、大艦巨砲主義に由来するものではありませんでした。


国民が望んだ大艦巨砲主義敗北論

さて、ここまでで日本海軍は大艦巨砲主義のように凝り固まった思想で大和を建造したのではなく、むしろ航空戦力への投資に重点を置きつつ、それなりの妥当性を持って大和の建造に臨んだ事がご理解頂けたと思います。

しかしこうなると、なんで大艦巨砲主義を信奉した日本海軍は敗れた、という言説がこれまでまかり通って来たのでしょうか?

このような戦後の「大艦巨砲主義批判」について、森准教授は「この批判はイデオロギーであると断じる」と結論付けています。

森准教授は最も早い1949年に出された日米戦回顧録である高木惣吉「太平洋海戦史」に着目し、その中に書かれた日本が初戦の勝利に驕って航空軍備拡張に立ち遅れたという記述が、「太平洋海戦史」の1年半後に出版された淵田美津雄・奥宮正武「ミッドウェー」で「戦艦中心主義の時代錯誤」が加えられ、それがベストセラーとなった事を指摘しています。「大艦巨砲主義」を理由とした敗戦は、物量に負けたという実感的な理由よりも、「より周到であり反省の契機もあって、より上等で良心的で服従するに足りるように見える」(森准教授)ので、国民に受け入れられたのです。


淵田・奥宮著「ミッドウェー」。(Amazonより)
そりゃ、著者が航空参謀だから戦艦を悪く書くよね…。

一方、澄川2佐はもっと容赦の無い結論を導いています。

戦前の戦争計画では、侵攻してくるアメリカ海軍の戦力を削りつつ、最終的に日本の委任統治領である南洋諸島で決戦を行って撃滅する想定でした(漸減作戦)。戦中の日本海軍はその為に航空戦力・空母戦力の整備に注力し、1944年にほぼ企図した通りにマリアナ沖海戦が展開され、その結果日本は一方的に敗北しました。このように澄川2佐は、日本海軍の想定通りに進んだけど負けた事を指摘しており、アメリカに戦争を挑んだ事自体が敗因だと結論付けています。対アメリカを想定して戦争準備してきたのに、アメリカに戦争を挑んだ事自体が敗因だとすると、大艦巨砲主義・航空主兵思想以前の問題です。

大和建造が間違いだったのではなく、日本人が選んだ道である対アメリカ戦争そのものが間違っていたという結論は、日本人にとって、残酷で不都合な真実でもありました。敗戦の理由を知りたがっていた日本人にとって、「航空戦力を軽んじた大艦巨砲主義」というのは、自分が傷つかない心地よい敗因だったのです。戦後に「大艦巨砲主義批判」を行った人も同様で、批判者に南雲艦隊の源田実航空参謀や、先述の淵田・奥宮両氏のような航空参謀出身者が多い事からもそれが伺えます。敗因を大艦巨砲主義のせいにすれば、航空参謀としての自分の責任を回避でき、自分は傷つかずに済みます。


戦艦大和(ウィキメディア・コモンズより

間違った戦争のおかげで大した活躍も出来ず沈んだ大和は、日本人にとって「間違った選択」の象徴として祀り上げるには都合の良い存在だったのです。本当はもっと根本部分で間違えていたにも関わらず、です。

日本国民にとって、なんとも歯がゆい結論に至ってしまいました。しかし、戦後70年を経た今、これを読んでいるほとんどの方は、大戦の問題からは自由なはずです。そろそろ本当の敗因を見つめ直し、誤った選択を繰り返さないために考えてみるべきではないでしょうか。そして、大艦巨砲主義の象徴のような不名誉かつ誤った扱いから、彼女らを解放してあげてもいいと思うのですが……。


【参考文献及び資料】

森雅雄「イデオロギーとしての「大艦巨砲主義批判」」,『城西国際大学紀要』第21巻 第3号 国際人文学部,2012年

「大艦巨砲主義批判」の言説を検証し、イデオロギーと結論づけている。その過程において、これまで大艦巨砲主義の証拠とされてきたものの不確かさ、誤謬について指摘し、米海軍における機動部隊の編成等の比較を行っている。米海軍の戦艦愛が伝わる発言集もいい。ネットで読めます。


澄川浩「日本海軍と大艦巨砲主義」,『朋友』26巻4号, 2000年

航空自衛隊の部内研究誌に掲載された論考(階級は当時)。日米のデータ比較と実際の戦況から、漸減作戦、艦隊決戦思想までに及ぶ批判に対して反論を行っており、主張が極めて明快。ネットで読めないけど、コピー入手してでも読む価値あり。


トシ・ヨシハラ「比較の視点から見た接近阻止―大日本帝国、ソ連、21世紀の中国―」

米海軍大学の中国専門家による接近阻止戦略の比較。米海軍に対する接近阻止戦略について、日本帝国の漸減作戦、旧ソ連の集中的ミサイル攻撃、現在の中国のA2ADを比較し、その共通点、相違点を考察。そして、現在において米中戦争が生起した場合、凄惨なものになると予測している。ネットで読めます。





2015年4月11日土曜日

いずも公開 写真速報

いずも公開行ってきただよ。
動画も公開しただよ。






撮って出しJPEGでとりあえずいっきに公開するよ。
























2015年4月8日水曜日

今なお百万柱が眠る海外戦没者と遺骨収容

「天皇の島」を訪問される天皇陛下

4月8日のきょう、天皇皇后両陛下が戦没者慰霊のため、南太平洋のパラオを訪れます。

戦後70年の「慰霊の旅」として、天皇、皇后両陛下は8~9日、太平洋戦争の激戦地、西太平洋のパラオを訪問される。

戦没者慰霊を目的とした海外訪問は戦後60年の米自治領サイパン以来2回目。日米両軍約1万8000人が戦死したパラオ訪問は、両陛下の十数年来の希望で実現する。

出典:両陛下、きょうパラオへ…十数年来の希望で実現
戦没者慰霊での訪問は両陛下のたっての希望とのことで、現地に施設が無いので海上保安庁の巡視船を宿舎にされるなど、異例ずくめの訪問となっています。それだけ、慰霊への想いが強いものと推測されます。

陛下が訪問されるペリリュー島「西太平洋戦没者の碑」(厚労省サイトより

第一次大戦の戦後処理の結果、現在のパラオを含む南洋諸島は日本の委任統治領となり、第二次大戦では主要な戦場の一つとなりました。この地域における戦闘の中でも、熾烈を極めた攻防が行われたペリリュー島は、米軍から「天皇の島」と呼ばれた事が知られています。両陛下にとっては因縁浅からぬ場所と言え、9日にペリリュー島の慰霊碑を訪問される事は、歴史的にも意義のある事です。

両陛下が訪問されるペリリュー島にいた日本軍1万人はそのほとんどが戦死し、その中には労働者として徴用されていた3000人の朝鮮人も含まれています。わずか13平方キロメートルの小島で1万人が亡くなりました。そして、日本国外のアジアから太平洋の広大な地域では、およそ240万人の日本人が亡くなりましたが、その半数の遺骨が未だに異国の土、あるいは海中で眠り続けています。



未だ半数が海外で眠る海外戦没者

約240万人の海外戦没者のうち、平成25年度末時点で収容された遺骨は127万柱。未だに113万柱が未収容のままで、このうち海没により収容困難な遺骨が30万柱(海没遺骨の扱いについては、拙稿「戦艦武蔵発見で考える海没遺骨」を参照)、住民感情など相手国事情で収容困難な遺骨が23万柱ありますが、収容可能とみられている60万柱は未だに外地で眠り続けています。

海外戦没者の遺骨収容状況

戦後70年を迎える事を受け、政府は今年度から10年間を遺骨収集の強化期間と位置づけ、遺骨の収容を進める方針です。しかし、終戦から70年という歳月による風化等により、遺骨の捜索・収容は過去以上に困難が予想されます。

そしてなにより、遺骨収容を担う人出が不足しています。戦没者の遺骨収容事業は厚生労働省の管轄ですが、現地で収容を行う人員はボランティアがその主力になっています。多くのボランティアは、少なからぬ費用を自腹で負担している状態で、ボランティア個人や団体の意志が、遺骨収容を支えています。

硫黄島戦没者遺骨引渡式の様子(厚労省サイトより

過去には外部委託団体による杜撰な収容も行われ、現地フィリピン人の遺骨も混入して問題になるなど、国としての管理や責任のあり方も問われました。

政府は本腰を入れて取り組む以上、これまでの人員的・組織的問題を解決して収容に臨む必要があります。もはや、時間はあまり残されていません。そしてなにより、私達国民が遺骨収容へ関心を持ち、さらなる収容を訴えかけていく、国民的な動きを起こす事が重要となるのではないでしょうか。


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2015年4月7日火曜日

過去から現在に至る「切れ目のない侵攻」

安全保障法制や日米防衛協力の指針(ガイドライン)改定等、安全保障に関する議論が賑わっていますが、マスコミでも関連記事や解説を伝えています。朝日新聞でも「読みとき 安全保障法制」という連載解説記事を始めてましたが、首を傾げる点があったので少々書きたいと思います。

さて、問題の箇所はここです。政府は戦争ではないが警察や海上保安庁で対応できない事態(グレーゾーン事態)において、警察・海保から自衛隊へシームレスに対応を引き継ぐ「切れ目のない対応」を行う事を目指していますが、そこで政府が想定している「謎の武力集団による離島上陸」に対し、記事ではQ&A方式で疑問を投げかけ、それに対する回答を書いています。


Q でも、謎の武装集団が離島に上陸するなんてことが本当にあるのかな?

A 過去に例はないけれど、政府は、今後も起きないとは言い切れないとみている。

出典:(読みとき 安全保障法制)Q5「国籍不明の武装集団が離島に上陸」どう対応するの?

んー……。クリミア半島に国籍不明の武装集団が現れたのって、去年でしたよね……。その後、クリミアがロシアに併合されたのは周知の通りです。現代に国籍不明の武装集団(どこかは丸わかりだけど)が現れ、国土を切り取っていく所業に世界が震撼しましたが、これが日本で起きない保証があるのでしょうか。


2014年にクリミアに現れた国籍不明(ロシア)の武装集団

まあ、世界の事例ではなく、「離島」で「日本」に限定にしていると言いたいのかもしれませんが、竹島の事例ではどうでしょうか。

例えば、現在もなお韓国により不法占拠されている島根県竹島の例では、韓国の漁民が入島が確認されてから、民兵組織独島義勇守備隊による竹島の不法占拠、そして1956年の韓国警察常駐による占拠と段階を踏んで占拠が強化されているのですが、これは過去の事例に該当しないのでしょうか? この竹島の例では、韓国が”切れ目なく”国家による竹島掌握にエスカレートしている反面、日本の対応は軍事的にも非軍事の面でも後手に回りました。厳密に言えば、韓国も最初から”切れ目ない”エスカレーションをしてたとは言い難いのですが、日本と比べると継続的に活動を行い、占拠の既成事実を積み重ねており、現在もなお占拠を続けています。

マスコミによる解説記事では、「グレーゾーン事態」における「切れ目のない対応」で歯止めが効かなくなり、本格的な武力衝突にエスカレートする事を危惧・問題視する論調が見られます。その懸念も正しくはあるのですが、過去に「切れ目のない対応」をしなかったばかりに、今日に至るまで不法占拠を許し続けている竹島について触れないのはどうでしょうか。

繰り返しになりますが、「切れ目のない対応」による事態のエスカレートへの懸念はもっともです。しかし、過去に対応をしなかったばかりに半世紀以上に渡る禍根を残した事はどう評価すべきでしょうか。政策がもたらすメリット・デメリット双方を提示し、国民の判断を促すのがメディアのあるべき姿と思うのですが、どちらか一方の視点ばかりが目立つように見えるのはどうなんでしょう。