2014年9月30日火曜日

「人の心」を巡る現代戦争

Twitterでこれは酷い対談記事だというリンクが出回ってきたので、どれどれと思って覗きに行った所、これが想像以上に酷かったのです。回ってきた以下のツイートに全く同感。


問題の記事は、週刊東洋経済オンラインに掲載された作家・評論家の笠井潔と政治学者で文化学園大学助教の白井聡の2人よる「日本は「イスラム国」掃討に行きたがっている」と題する対談。全般を通じて読んでて頭痛がする内容でしたが、特にこの部分が酷い。

占領軍の出血を減らしたいアメリカは、まじめで民間人を安易には殺傷しない自衛隊を、米軍を代行する優秀なパトロール部隊として使おうとするでしょう。ようするに集団的自衛権の行使容認とは、米兵の弾よけとして自衛隊を差しだすということです。'''パトロール要員に専門的で高度な軍事知識や能力は必要ありません'''。この点で、徴兵された兵士は現代戦に無用だという意見は空想的です。(強調部筆者)


あ、喧嘩売ったな。破綻国家で秩序を復活させようと、日々悩みあれこれ議論している関係者に喧嘩吹っかけやがったな。よし、その喧嘩買った。



パトロール兵は高い能力も知識も必要無い?

さて、この対談でどういう議論を二人がしているか、まず確認してみましょう。

治安状態を悪化させないために、占領軍がパトロールをする。このパトロール中の米兵が、路肩爆弾や自爆攻撃や狙撃などによって次々と死んでいく。イラク戦争でアメリカが4000人の犠牲者を出したとして、戦争での死者は1000人ほど、あとの3000人は戦後の治安維持活動での死者です。


まず、Wikipedia見れば片がつくレベルの事実誤認として、イラク戦争での「戦争」での米軍死者は1000名でなく139名です(Wikiでは138名になってるけど)。笠井氏の定義する「戦争」の範囲が、開戦から2003年5月1日のブッシュ大統領の大規模戦闘終結宣言までではなく、オバマ大統領による2010年8月31日の戦闘終結宣言、あるいは2011年12月15日の戦争終結宣言である可能性を一瞬考えましたが、「戦争での死者は1000人ほど、あとの3000人は戦後の治安維持活動~」の一文があるため、国家間戦争としてのイラク戦争と戦後の治安戦を分けている事が窺え、大規模戦闘終結宣言までが「戦争」としていると判断できます。なお、2010年又は2011年のオバマ宣言までを「戦争」と定義した場合でも、その段階で4000人以上の死者が出ており、笠井氏の言っている「戦争での死者」は現実のものと符合しない事は付け加えておきます。

単純な事実誤認は置いておくとしても、戦争そのものより後のパトロールの方が死傷者が多い、という認識はその通りです。イラク戦争で米軍は短期間でフセイン政権と軍を打倒したものの、その後8年以上に渡るイラク駐留と治安戦で多数の死傷者を出しています。「戦争」ではなく「戦後」こそが課題となった例と言えます。この2人の議論は、その戦後の作戦で必要なパトロール兵をアメリカは欲していて、日本の自衛隊をパトロール兵に使おうとしており、パトロール兵には高度な知識も能力も必要無いので徴兵制で調達できる→だから、徴兵制は日本でもあり得る、という認識のようです。



対反乱作戦とハーツ・アンド・マインズ

では、このような事態に米軍が陥ったのは何故でしょうか。有力な説としては、イラク戦争当初の米軍が対反乱作戦(Counter-Insurgency:COIN)を軽視していた事が指摘されています。対反乱作戦とは、敵の殲滅ではなく民衆の保護に重点を置く作戦で、民衆の心(hearts and minds)を掴み(人心掌握)、反政府勢力から民衆を分離することで孤立させる事を目的としています。対反乱作戦は、民衆の心を巡る戦いとも言われており、その起源は古いものです。

19世紀から20世紀初頭のフィリピンやニカラグアにおける作戦や、第二次大戦後の日本と西ドイツの占領と安定化に成功するなど、本来の米軍は対反乱作戦において豊富な経験を有する軍隊でした。ところが、ベトナム戦争での対反乱作戦の失敗以降は、米軍内で対反乱作戦についての研究は停滞し、以後に制定された軍事ドクトリンから対反乱作戦の記述が消えていました。この米軍内における対反乱作戦の停滞により、イラク占領初期における準備不足と治安確保に失敗した可能性が指摘されています。実際、イラク戦争における米軍は火力重視の反面、兵士はイラク人に対する態度は高圧的で、人心の掌握に注意を払っていませんでした。この頃の米兵の認識を表すものとして、第82空挺師団の兵士が上官に語った言葉が伝わっています。

「我々は自分たちの仕事をしました。……敵を殺しました。サダムはもう権力の座にいません。さあ、もう帰りましょう。私は下水道整備や学校建設の手伝いの最中に銃弾を食らったりするために82に入隊したのではありません」

第82空挺師団のある米兵の言葉

このような米軍の認識を改めるべく、イラク戦争初期での占領統治に実績のあったペトレイアス将軍を中心として、2006年12月に新たな軍事ドクトリンとしてField Manual(FM)3-24「対反乱作戦」が策定されました。対反乱作戦についての軍事ドクトリンとしては、20年ぶりの改訂になります。言い換えれば、米軍は冷戦時代の認識のままイラク戦争に突入していた事になります。

このドクトリン策定の翌月、2007年1月にブッシュ大統領はイラクへの2万人の増派を発表し、イラクにおける対反乱作戦が再スタートしました。この仕切り直しが功を奏し、2007年の後半より米軍の月別死者数は減少に転じ、2008年以降の死者は低い数で推移するまでになりました。

イラク戦争における米軍死者推移(筆者作成)

イラク戦争の状況好転は、新ドクトリンに基づく対反乱作戦と増派による所が大きいと分かります。では、具体的にはどんな事をしたのでしょうか。



兵士に高いコミュ力が求められる対反乱作戦

それまでの米軍は前方活動基地(Forward Operating Base: FOB)から「通勤」する形で市街地にパトロール部隊を出しており、一般イラク人とは空間的にも心理的にも隔絶されていました。新たなドクトリンの元では、市街地に小さな歩哨所や治安ステーションを多数設置し、イラク人治安部隊や有志連合軍と共同で市街の警備を行うようになりました。実際に現地のイラク人と交流し、民衆の支持を得るよう行動するようになったのです。

イラク人少年と談笑しながらパトロールする米軍兵士

この他にも、米国政府の関係省庁、国連機関、イラク新政権、国際NGOとの協同が重視されるようになり、文民機関と軍人が連携して復興事業にあたる地域復興チーム(Provincial Reconstruction Team: PRT)も強化されました。これらの事業では、電気水道などのインフラ整備、イラク人の雇用確保、小額ローンの実施等、人心を獲得する為の措置が多数行われています。

これらの施策を実施するに当たり、対反乱作戦にあたる兵士には高い能力が求められます。イラク人の住民や治安部隊等のイラク人と密接に接する事になるパトロール兵士には、最低40時間のイラク文化理解講習が課されるようになりました。また、現地人以外にも、軍隊とカルチャーの違う国際NGOとの協力・調整も大きな課題になりました。カルチャーの違う組織同士の協同の難しさは、ある士官の「戦場に「クジラを救え!」と書かれたTシャツとサンダルでやってきた人間と、どう協力すれば良いか分からなかった」という回想によく現れています。「パトロール兵」と一言で言っても、その任務は複雑に渡るのです。

これら任務に要求される能力は高度な武器の習熟ではなく、建設異なる価値観を持つ人・集団とのコミュニケーションと調整能力、有り体に言えば対人スキルです。これは簡単に得られるものではありませんし、現実に多くの人が苦労しているのは言うまでもないでしょう。それが、国籍も言葉も人種も宗教も思想も文化も違う人を相手にするのですから、並大抵の事ではありません。コミュ障の私には無理です。

イラク人治安部隊員と協同作戦にあたる米海兵隊員


ここまでで、パトロール兵にも高い能力・知識が求められる事が分かって頂けたと思います。特に異文化コミュニケーションなんて、今や大学に学部が出来るような時代ですよ。「パトロール兵のための徴兵」が現実的だとする主張に対しては、大学奨学金目当ての募集兵を大量に引っ張った挙句、そういう連中が捕虜虐待等の大スキャンダルやらかしてイラク人の支持を失ったイラク戦争初期の事実を提示すれば十分だった気もします。もっとも、北朝鮮みたいに兵役期間を13年に設定すればなんとかなるかもしれませんが。

ところで、イラク戦争開戦に重要な役割を果たしたラムズフェルド国防長官は、少数の兵力でフセイン政権を打倒した後は速やかにイラク新政権に権限を移譲し、治安確立などの任務は全てイラク人の治安部隊に任せるべきだとしましが、それがイラク戦争中盤の米軍の大量戦死に繋がりました。訓練装備も不十分なイラク人部隊で治安確立は十分と見積もっていたラムズフェルドの考えに、驚くほど笠井・白井両氏の主張は似通っています。イラク戦争とアメリカを批判する両氏が、イラク戦争を主導したネオコンのラムズフェルドと同じような、人の心は簡単に手に入るという思考・世界観を共有している事は、大変面白い現象だなと思います。

国家再建過程における人心掌握を巡る国家、軍隊、国際NGOらの活動・協同については、イラク戦争以後の国際政治分野で盛んに研究されているホットな分野です。書籍も出ていれば、ネットでタダで読める論文・報告集は腐るほどあります。にもかかわらず、現代の戦争を語る政治学者と評論家が、これらの研究成果をこれっぽちも理解せずに「徴兵制が来るぞ!」と煽り立てている様は、大変見苦しいというか、哀れなものがあります。「民間人を安易に殺傷する鬼畜米兵と安易に殺傷しない自衛隊」という無根拠かつ楽観的なジャパン・アズ・ナンバーワン世界観を開陳しているのは、年々減りつつある昭和人の気概を見せ付けていて、嫌いではないのですが。


【参考論文及びネットでタダで読める研究資料達】










吉岡猛「イラク戦争における戦後処理戦略― 「サージ戦略」への転換とその背景分析 ―」


なお、有料になるが、総論としてまとめてある書籍としては以下を紹介する。


小柳順一「民軍協力(CIMIC)の戦略―米軍の日独占領からコソボの国際平和活動まで」

軍人側からみた民軍協力の話。日独占領統治における民軍協力からコソボまでの歴史的経緯・変遷。また、非常に多く存在する「民軍協力」を示す用語について整理できる。なお、この本は軍隊側(自衛隊側)からの視点なのも注目。


上杉勇司編「国家建設における民軍関係―破綻国家再建の理論と実践をつなぐ」

前掲論文「国際平和活動における民軍協力の課題」の冊子バージョンとも言える(厳密には違うけど)、この分野の基本的文献。


白善燁「対ゲリラ戦―アメリカはなぜ負けたか」

満州国軍や創建間もない韓国軍において対共産ゲリラ作戦に携わり、朝鮮戦争中に31歳にして韓国陸軍参謀総長となったリアルレジェンド、白善燁将軍による対ゲリラ戦のエッセンス本。古い本だが、今も昔も人の心を掴むという点で変わっていないと分かる。アマゾンではプレミア価格が付いてしまっている。



登山その前に。登山計画書の提出を

御嶽山噴火の報道が連日続いていますね。噴火当初は噴火映像のインパクトに圧倒されましたが、心肺停止で発見される遭難者の数が時を経るに従って増えていくのに痛ましい想いです。

今回の噴火による遭難者の数ですが、報道によると噴火から3日経った今でも正確な数は分かっていないそうです。


29日午前8時から長野県庁で開かれた非常災害現地対策本部会議後、陸自松本駐屯地の広報担当者は、「安否不明者は41人に上る」と明らかにした。連絡が取れない人や周辺の駐車場に放置された乗用車の所有者などを基に集計。山中に取り残されている人の数は正確につかめていない。



発表されている遭難者の総数は連絡が取れない人や、駐車場に放置された自動車から割り出しているようですが、公共交通機関の利用者や単身登山者が多く含まれていた場合、実際の遭難者はもっと増えるかもしれません。

焼岳。常時観測対象の火山の1つ(筆者撮影)

未だに遭難者の総数が分からない理由として、登山者の登山計画書未提出が挙げられます。登山計画書(登山届)とは、登山の日程、ルート、参加者等の情報を記入した書類の事で、主要な山の登山口には投函するポストが用意されています。投函された計画書は回収され、いざ遭難が発生した際、救助のための重要な参考情報となります。

登山計画書様式例(長野県)

今回の遭難に限らず、仮に登山計画書が100%提出されていれば、遭難者の名前から人数まで遭難発覚から短時間で分かりますが、登山者の8割が計画書を提出しないと言われています。御嶽山は3000メートル級の高山ですが、七合目までロープウェイも整備されており、コースによっては日帰り登山が可能な事から、”お手軽な山”という認識もあります。その事も計画書の未提出に繋がったのかもしれません。



計画書未提出で遭難から救助まで14日を要した例

今回は噴火という大災害でしたから、直ちに登山者の遭難の事実が知れ渡ったため、不明者の総数が分からない程度で済んでいます。しかし、登山計画書未提出で遭難した場合、遭難そのものに気付かれずに救助活動が始まるのが遅れる、あるいはどこで遭難したのかすら分からない可能性があります。

山と渓谷社から出版されている、羽根田治「ドキュメント単独行遭難」では、そのような遭難事例が数多く紹介されています。その中から1つ紹介すると、2010年の埼玉県秩父山地の両神山で登山者の男性が40メートル滑落して骨折し、身動きが取れない状態になりましたが、男性は計画書の投函ポストを見落として未提出のまま登山していた上、行き先を告げた家族が山の名前を覚えていなかった等の悪条件が重なり、救助まで14日を要した例があります。この例では、男性が登ったのは両神山だと警察が特定したものの、どのルートを使ったが最後まで分からず、救助隊は広範囲の捜索を強いられる事になりました。遭難14日目で男性が発見されたのは沢で、あと数十分発見が遅れていたら大雨による増水に流されていたという、ギリギリの状況での救助でした。



ネットでも可能な登山計画書の提出

登山計画書提出の有無で、生死を分ける事になるかもしれないとお分かり頂けたと思います。1~2枚の紙を書く数分間の手間で、生存の可能性を上げる事が出来るなら、それは有効な投資ではないでしょうか。

しかし、どうしても書くのが億劫な方もいるかもしれませんし、先の例のように投函ポストを見落とす可能性もあります。近年はネットでも計画書を受け入れている自治体があります。現在問題になっている御嶽山は岐阜・長野両県に跨る山ですが、岐阜県はメールによる計画書提出が可能で、長野県ではメールフォームによる提出の他、公益社団法人日本山岳ガイド協会が運営する登山SNS「コンパス」と提携し、SNS上から提出する事も出来ます。この他の自治体、警察でも、ネットでの計画書受付を行っている所がありますので、登山の際は事前にチェックしてみるとよいでしょう。



岐阜・長野県の登山届提出先リンク


岐阜県警察「登山届」

長野県:「登山計画書」

コンパス:「長野県警察」×「コンパス登山計画」の取り組みについて



今は遭難しても携帯電話で救助を呼べる、と考える方もいるかもしれませんが、携帯が圏外で助けに呼べなかった遭難例は数多くあります。そもそも、山は人間の生活空間ではなく、突発的な災害・怪我等のリスクは数多く存在し、ちょっとした事から誰もが遭難者になり得ます。ほんの少しの手間でリスクが減らせるのなら、手間を惜しむ理由は無いのではないでしょうか。



【関連】


羽根田治「ドキュメント単独行遭難」

記事内で引用した書籍。単独登山での遭難は、遭難場所の特定が困難な事がある上、救助当局が遭難を察知するのが遅れるケースが多い。そういった単独行での遭難に絞り、遭難者の行動、救助側の視点双方交えたドキュメンタリーだが、この数年間で発生した単独行遭難だけでも、一冊の本が出来てしまう事に戦慄する。それだけ遭難は身近に起きている。


羽根田治「ドキュメント生還-山岳遭難からの救出: 5 (ヤマケイ文庫)」

前掲書と同じ著者による遭難ドキュメンタリー。高山から低山までの遭難事例とその生還を追う。低山、あるいは初心者向けであっても、遭難する可能性は至る所にある。



「トムラウシ山遭難はなぜ起きたのか (ヤマケイ文庫)」

記憶に新しいトムラウシ山での集団遭難。夏登山にも関わらず、低体温症による9名が亡くなる大事故となる。正規の登山道を進んでいたが、厳しい気象により増水した川を渡る羽目になり、低体温症が一行の判断力を奪い、精神錯乱を引き起こしていく様は、新田次郎「八甲田山死の彷徨」と似通っており、背筋に寒いものが走る。

なお、トムラウシ遭難事故については、事故調査委員会による報告書がネットで読める。これだけでも凄い読み応え。

トムラウシ山遭難事故調査特別委員会「トムラウシ山遭難事故調査報告書」






2014年9月10日水曜日

池上コラム不掲載問題、異議を唱えた記者以外は何を呟いていたか

9月2日、朝日新聞の名物コラム「天声人語」は「寛容と不寛容という難問」という題で、不寛容に対する寛容の問題や言論の自由について述べていました。ところがそのコラムが載った日、池上彰氏が朝日での連載コラムに従軍慰安婦報道検証について論じようとしたところ、その掲載を朝日が拒否し、池上氏が連載中止を申し入れた事が週刊文春で報じらました。寛容と不寛容、言論の自由について言及したその日に、朝日新聞が示した「不寛容」は、社内外に大きな波紋を呼びました。

この件で特に目を引いたのが、他でもない朝日の新聞記者達自身が声をあげた事です。記者たちは自社の掲載拒否にツイッターで異議を唱え、この事はネット上で大きな関心を集めました


ジャーナリストの池上彰氏が朝日新聞の慰安婦報道検証記事の問題点を指摘したコラムが一時掲載を拒否された問題で、朝日新聞が3日夕に翌日朝刊の掲載を発表するまでに、少なくとも32人の朝日新聞記者がツイッターで自社の対応に異議や疑問の声をあげていたことが、日本報道検証機構の調査でわかった。ツイッター上だけでなく、社内の議論で多くの記者がコラムの掲載を求めたと複数の記者が指摘。こうした現場記者からの反発や掲載を求める声に上層部がおされ、当初の判断を覆した可能性が高い。



内外からの反発を受けて、朝日新聞は掲載拒否を撤回し、コラムは予定通り掲載される事になりました。この件で声をあげた朝日新聞記者らは賞賛を持って報じているところが多いと思います。

ですが、依然として誰が、どういう経緯で掲載不許可を決めたのか、未だに朝日新聞は明らかにしていません。記者個人の行動の美談の影に隠れて、責任の所在が不明確なままとなっています。先の日本報道検証機構のツイート調査はポジティブな面の調査で、ネガティブな面は見えてきません。

そこで、朝日新聞記者の全ツイッターアカウントから、記者個人のツイートの傾向や池上コラム問題前後の発言を精査することで、朝日新聞社内でどういう人達がこの問題を無かった事にしようとしているのか分かるのではないかと仮説を立て、検証してみました。

ここで断っておきたいのは、朝日新聞にいる全編集者2,377人(2013年4月1日現在。朝日新聞CSR報告書・会社案内 2013より)のうち、ツイッターアカウントを持って公表しているのは1割に届きません。分かる限りのツイッターアカウントを対象にしましたが、記者の総数と比べるとサンプル数が少ない事はあらかじめご了承下さい。しかしながら、検証からある傾向が見えてきました。



記者の全体的傾向

まず、朝日新聞記者でツイッターアカウントを公開している記者を割り出しましょう。朝日新聞公式サイトに「公認」アカウント一覧が掲載されており、134名のアカウントが公表されています。ところが、公式サイトに掲載されていない「野良」アカウントもいて、その把握に苦労しました。先に記事を引用した日本報道検証機構の調査によれば全記者アカウントは165名分とのことでしたが、私の調査では全部で167名を確認し、この全員を対象に調査を行いました。

最初に全体の傾向として、コラム掲載拒否報道から撤回が行われる前と後で、言及した記者が何人いたかを表で見てみましょう。

池上コラム問題での撤回前後の朝日記者の行動

掲載拒否報道から撤回前までに32名の記者が社の決定に不満・批判を述べていますが、反面132名が言及せずにいます。また、自身でツイートはしないものの社を批判する意見をRTした記者が2名いましたが、朝日新聞記者はツイッターの自己紹介にほとんどの場合、「ツイートは個人の意見で、社の見解ではありません。RTやリンクは賛意とは限りません」と但し書きを付けており、RTの真意が判らない為に意見表明とは別の扱いにしております。「その他」については、含みのあるツイートをした記者を分類しています。

掲載拒否撤回が報じられると、言及する記者は微増して43名、そして意見や記事をRTする記者は28名と大幅に増加します。それでも半分以上の記者に騒動に対する反応が見られません。もちろん、社の決定を公然と批判する事に慎重な記者が大勢なのは理解出来る事ですし、そもそも自分の専門外で、特に言及の必要を感じていない事も考えられます。事実、一貫して事件報道のツイートしかしない事件記者アカウントもありますし、国際報道についてしか言及しない国際報道記者アカウントもあります。自身の専門から逸脱せず、一貫したツイートを心がける姿勢は立派なものです。自社の汚点に言及しない事を批判される謂われは無いでしょう。



普段の言動からかけ離れた行動をする記者たち

ところが、個々の記者アカウントを精査すると、掲載拒否~撤回の前後で自身のそれまでのツイート姿勢から逸脱した方向性を示す記者、或いは専門分野のはずなのに言及しない記者が、少なからぬ数いる事が分かります。

特に顕著な例を挙げると、石井徹編集委員(環境・エネルギー問題担当)です。環境・エネルギー問題担当ですが、ツイート内容はメディア(主にNHK)批判や慰安婦問題、平和問題についてのRTが大勢を占めています。もっとも、記者が他分野に関心を持つのは良い事で、それ自体は批判される事ではありません。問題は普段は他社メディア批判をしておきながら、朝日の今回の失態についてどう反応したかです。問題が明るみになってからのRT内容を見てみましょう。

石井編集委員が騒動後に連続RTした内容

他社も誤報や事前検閲をやっており、最近の流れは「異常な朝日バッシング」だとする意見等、朝日擁護ツイートを連続してRTしています。自社が起こした騒動への内省の姿勢は一切見られないばかりか、「他社もやっている」と擁護する姿勢を見せるのは、普段の他社批判を展開している自身の姿勢と相容れないと思いますがどうでしょうか。なお、8月22日の石井編集委員のツイートでは、NHK退職者有志1370名がNHK籾井会長の辞任を求めたニュースに、「社内にこれだけ異論があるのは救い」とコメントしていますが、ご自身は自社内の異論に一切反応せず、ネットの他人による自社擁護にしがみついています。

続いては、上丸洋一編集委員(言論・ジャーナリズム担当)です。氏は言論・ジャーナリズム担当で、戦争とメディアの関係についても分析されていて、慰安婦についても過去に積極的に発言しています。まさに今回の一連の問題にコメントするにピッタリの方ですが、掲載拒否報道から1週間を経た今もなお、騒動については知らぬ存ぜぬを決め込み黙殺しています。保守メディア研究・批判も行われている方なのですが、自社へはその研究眼を向けないようです。

極めつけは、小森敦司編集委員(環境・エネルギー問題担当)です。石井編集委員と同じく環境担当の編集委員で、戦争に関するツイートも多い方です。掲載拒否問題が大きく騒がれた9月3日に、1回だけ関連ツイートをしていますが、驚きの内容です。見てみましょう。


しかし、もし、その原稿が、誤解や不十分な情報にもとづくものだったら、どうなるのだろう? 落ち着かないが、私は私の仕事をしよう。


騒動の最中の小森編集委員のツイート

名指しこそ避けているものの、暗に掲載拒否が池上氏の責任によるものだと示唆しています。自社擁護、黙殺に続き、責任転嫁です。仮に池上氏のコラムが誤解や不十分な情報に基づく内容だったとしても、後で紙面で反論すればいいだけの話です(実際に池上氏のコラムはとても妥当なものでした)。ここまで来ると呆れを通り越してしまいます。

この他にも、今回の騒動は格好の事例であるにも関わらず一切触れない「ジャーナリズム学校長」、8/30に「警察がありもしない事件をでっち上げようとした事件」と志布志事件を取り上げているけど自社の誤報はスルーなのが素敵な編集委員と、普段の言動や専門・得意分野のはずなのに言及する素振りを見せない記者が見られます。

ジャーナリズム学校長を別にすれば、4人はいずれも朝日新聞の編集委員です。編集委員とは一般的に、一定のキャリアを積んだ後に、特定の部署に属さずに自分の専門についてコラムや分析を行う記者の事で、朝日新聞では52名しかおりません。新聞社の記事傾向・オピニオンを左右する顔とも言える存在ですが、問題の記者がここに集中しているのは興味深いです。



慰安婦報道に熱心な記者ほど無視を決め込む傾向

これまでの調査はツイッターアカウントを持っている記者のみを対象としたもので、記者全体を見れば必ずしもそうではないのかもしれません。しかし、従軍慰安婦問題に積極的にタッチしていた記者ほど、今回の騒動を擁護、黙殺、責任転嫁する傾向が見られたのは興味深い現象です。従来の朝日の慰安婦報道を担っていた彼らにとり、8月に始まった報道検証は自身のキャリアの否定となるのかもしれず、保身からそのような行動に走っているのかもしれません。正直な所、そんなことして良い事は何一つ無いと思うのですが、そんな稚拙な行動に走る人々の中に、池上氏のコラム不掲載にして、却って事を大きくしてしまった人物がいるのかもしれません。

なお、今回の調査データは他の方が検証可能なよう、Excel形式の集計表をオンライン上で公開しております。興味のある方は以下のURLにアクセスして頂ければと思います。

https://docs.google.com/spreadsheets/d/1Ruhfkw1m1qxD_4_qEDzFg1hM5FYhuDbnighpveZRFJU/edit?usp=sharing



【関連】








2014年9月7日日曜日

オスプレイを横田に見に行きましたよ

横田基地で7日まで開催されている友好祭に行って、オスプレイ見てきました。

オスプレイの中も入れましたが、あの炎天下で1時間以上の行列でした。なんと米軍のE-3も中の見学やってたんですが、こちらも凄い行列だったので諦めました。ちゃんと日除け対策してくればよかった……。

あと、空自のKC-767もお子様限定で中見れます。

以下写真。




展示機と翼を格納した状態の機体の2機です。展示機はベコベコ触れる気前の良さ。















オスプレイの座席と担架など。




各種パネルとコックピット。



コックピットのとこにあるイスラエル製品。墜落時の座席部緩衝構造かなにかっぽい。



リクエストのあった回転翼端のLEDチップ。

この写真はすべてソニーのRX100M3で撮りましたが、望遠が70mmしかないのでこれが寄れる限界でした。

ところがトリミングすると……



意外とちゃんと写ってます。LEDチップのディテールがわかります。凄いぞRX100M3の解像感。

がっちり日除け対策と通り雨対策、それにやぶ蚊対策していけば、7日の開放日にオスプレイとE-3両方見れるかもしれないので、行かれる方はチャレンジしてみてください。









2014年9月4日木曜日

日本海軍から地続きの海上自衛隊のいじめ問題

海上自衛隊の護衛艦乗員が、度重なるいじめを苦に自殺したとされる事件が報じられています。

海上自衛隊横須賀地方総監部(神奈川県横須賀市)は1日、横須賀基地に配備されている護衛艦所属の男性隊員が、昨年10月以降に男性1等海曹(42)から繰り返し暴行などのいじめを受け、今年に入って自殺したと発表した。海上自衛隊警務隊は1等海曹を暴行と器物損壊の容疑で書類送検する方針。


海上自衛隊ではたびたびいじめが問題になっています。2004年にも護衛艦"たちかぜ"の乗員が自殺し、家族にあてた遺書にいじめの事実が書かれていたため、遺族が国に対して訴訟を起こす事態となりました。この裁判の過程で、海自が"たちかぜ"乗員に実施した、自殺した隊員への暴行等の有無を尋ねるアンケート結果の公開を遺族が求めたところ、海自はアンケート結果は破棄したと回答していました。ところが、調査を担当した三等海佐がアンケート結果は破棄されていないと内部告発した事で、海自の組織的隠蔽が明らかになるスキャンダルにまで発展しました。今年4月には東京高裁が遺族の主張を認め、国に7300万円の賠償を命じる判決を言い渡し、遺族・国双方が上告しなかったことで判決が確定しました。このような事件があっただけに、今回の海自の対応はかなり早いもので、海自トップの海上幕僚長が公表するなど、かなりの危機意識を抱いてたものと考えられます。

この他にも、1999年から2000年の2年間で護衛艦"さわぎり"で4件の自殺・自殺未遂が相次いだ事、2000年には広島県にある海自第一術科学校で集団暴行事件があり、生徒が家族に「殺される」と電話して保護される事件が起きています。

このようにいじめ、自殺問題が相次いでいる海上自衛隊ですが、これらの背景はなんでしょうか。その答えの一端が海上自衛隊の前身である、日本帝国海軍にありました。



戦艦4隻を"撃沈"した海軍内部の規律の緩み

2009年から2011年にかけて、NHKで放映されたドラマ「坂の上の雲」をご覧になった方は多いと思います。2011年末に放映された最終回では、日本海海戦で戦艦"三笠"を旗艦とした連合艦隊がロシアのバルチック艦隊に勝利しますが、その三笠は日露戦争終結直後の1905年9月に佐世保港で大爆発を起こして沈没し、日本海海戦での損害を超える251名の死者を出している事はドラマの中では語られていません。

戦艦三笠。日本海海戦の勝利の4ヶ月後、人為的と考えられる事故で爆沈する
三笠の爆沈を皮切りに、1906年に二等巡洋艦”松島”が爆沈、1917年には横須賀港に停泊中の巡洋戦艦”筑波”が爆沈。翌1918年には日本初の弩級戦艦”河内”が徳山湾で爆沈するなど、明治から大正にかけての日本海軍では艦艇の爆発事故が相次ぎました。1918年の河内を最後に爆発事故は影を潜めますが、大戦中の1943年には再び戦艦”陸奥”が爆沈。1100名以上の死者を出す大惨事となりました。これら日本海軍の軍艦爆発事故は、原因不明としているものもありますが、そのいずれも人為的原因が有力視されています。

日本海軍主力艦艇の火薬庫関連事故一覧
40年の間で日本海軍の主力である戦艦が4隻も爆発事故で沈んでおり、そのいずれも人為的原因が疑われている事は衝撃的です。その背景には、規律の乱れが挙げられています。1905年の三笠爆沈では規則を破り、発光信号用のアルコールで飲酒している際の失火で起きたという証言があり、同様に松島でも火薬庫が隠れた飲酒スペースになっていたという証言があります。筑波では火薬庫の鍵管理が杜撰であった事、容疑者と目される乗員が事故当日に窃盗容疑で上官から4時間以上の殴打を伴う私的制裁を受け、精神的に不安定になっていた事が明らかになっています。続く河内爆沈の調査でも、筑波の教訓を受けて防止措置を指示した訓令が河内で実施されておらず、それどころか防護巡洋艦”利根”を除く全艦艇で、訓令の通り行われていなかった事が明らかになり、艦隊全体の規律の緩みに海軍上層部は衝撃を受けます。



緩慢なストレスによる人間関係と規律の崩壊

では、なぜ日本海軍や海上自衛隊で規律違反が目立つのでしょうか。1つの仮説として、閉鎖的で密接な人間関係を強いられる艦艇勤務に答えがあるのかもしれません。

自衛隊の看護師である看護官らがまとめた「防衛看護学」では、自衛隊の国際平和協力活動でのストレスモデルをHIS(高強度ストレス)とLIS(低強度ストレス)の2つに分類しています。HISは戦闘や自然災害等の危機状況下における過度の緊張や、惨事を目撃した事によるショック等の強いストレスの事で、帰還兵の社会不適合やPTSDの原因ともされています。一方、LISは普段の繰り返す単調な任務や長い待機によって、達成感やモチベーションが失われる事による緩慢なストレスを指し、上官への反抗、仲違い、個人をスケープゴートとする等、組織内の人間関係の不調和の原因とされています。

近年、自衛隊のイラク派遣経験者の自殺率の高さが報道されており、NHKの特集では過酷なイラクでのストレスを原因と推測していましたが、必ずしもそうとは言えないようです。というのは、イラク派遣ではLISが大きな問題とされ、隊内の人間関係に問題が生じていたからです。イラク派遣では自衛隊は砂漠に宿営地を建設し、宿営地を拠点にインフラ建設や給水活動を行っていました。閉鎖的な宿営地での生活と、任務に従事する日々がLISをもたらしたと考えられ、結果的に隊員間の人間関係の不和に問題が生じています。

自衛隊のサマーワ宿営地。単調な砂漠に囲まれた生活(Google Earthより)

転じて、海上自衛隊の艦艇勤務ではどうでしょうか。艦艇勤務は艦内で数百人の乗員が生活を共にしており、公私に渡り密接な人間関係が強いられる環境にあります。このような環境に加え、繰り返される訓練、不規則な勤務、長期の航海等のストレス要因は多くあり、それらがモチベーションの低下と規律の緩みに繋がる事は十二分に考えられます。事実、近年も規律違反による重大事故が起きており、2007年には護衛艦"しらね"で正規の手続きを通さず乗員が持ち込んだ冷温庫から出火し、護衛艦の中枢である戦闘情報センター(CIC)が全焼する事態となりました。また、今年の自殺事件では上官による暴行や金銭の要求が明らかになっていますが、2000年頃に自殺が相次いだ"さわぎり"に至っては、加害乗員による飲酒等の規律違反、更には賭博、恐喝、横領等の犯罪行為も明らかになっています。

先に挙げた日本海軍の例でも、事故の前に盗難、暴行、発表前に昇進情報が漏れる等、規律の緩みがそこかしこに見られました。そして、精神に不調を来した乗員による放火が疑われる爆発事故に至っています。このような規律の緩みと、それに伴う乗員の精神不調が、軍艦爆沈という最悪の事態を引き起こしたのかもしれません。



いかに未然に悲劇を防ぐか

艦艇という閉鎖空間に縛られざるを得ない海軍・海上自衛隊にとって、ストレスの構造的要因そのものを変える事は難しいと思われます。このように構造的要因の改善が難しい以上、いかに早く問題をキャッチアップして、改善に繋げるよう努める事が次善の策となると思われます。しかし、今年起きた自殺では相談された幹部が問題を認識せず、被害聞き取りに加害者を同席させる等、問題ある対応をしていた事が報じられています。

自衛隊ではメンタルケアの実行主体は部隊長とされており、専門的知識を持つカウンセラー等の役割・権限は明確でありません。メンタルケアが部隊長の認識に大きく左右される事が、今回の誤った対応を招いたのではないでしょうか。また、艦艇では各部署の長の力が強く、苦情の受理者である艦長に一般乗員が相談するという事自体が難しいという背景もあります。事実、”さわぎり”で自殺した三等海曹は、上長の機関長ですら「雲の上の存在」だったと生前に語っていたとされます。

自衛隊はプロフェッショナルの集団です。隊員や部隊の役割は細分化されており、それぞれが専門的な技能と経験を有しています。そのプロフェッショナル集団で、メンタルケアが専門家の手に委ねられておらず、実施者も未熟な認識で取り返しのつかないミスをした現状は恥ずべきものではないでしょうか。メンタルケアにおいても、プロフェッショナルの集団となって欲しいものです。

※(9/4,13:00訂正)今年の自殺事件で、被害者が艦長に相談していたと書きましたが、正しくは幹部でした。お詫びして訂正致します。


【関連】


吉村昭「陸奥爆沈」

本稿の種本その1。歴史小説家吉村昭による戦艦陸奥爆沈を追ったルポ小説。
爆沈原因を探る査問委員会で、次々と浮かんでは可能性無しと消えていく技術的要因による爆発説。そして、委員は最後の可能性の検討を始める。乗員自身による放火説を……。
関係者による綿密な聞き取り取材と資料調査により書かれた本書は、小説でありながら、後述する防衛省防衛研究所の論考でも賞賛される傑作ルポとなっている。


「防衛看護学」

種本その2。自衛隊の看護師である看護官によって書かれた、防衛分野に特化した看護の解説書。戦闘や災害での負傷の対処法から、設備が整っていない地域での治療等、一般的な看護で見られないシチュエーションでの看護法について説明されている。もちろん、自衛隊のメンタルヘルスについても1章を割かれて解説されている。


山本正雄「軍艦爆沈事故と海軍当局の対応 -査問会による事故調査の実態とその規則変遷に関する考察-」

防衛省防衛研究所研究員による論考。日本海軍での軍艦爆発事故は当初自然発火説が取られていたが、相次ぐ爆発事故により海軍当局が人為的要因を直視せざるを得なくなり、人為的要因を考慮した防止策の徹底により、河内から陸奥まで25年間爆発事故の予防に繋がった事を示唆している。