2014年9月30日火曜日

「人の心」を巡る現代戦争

Twitterでこれは酷い対談記事だというリンクが出回ってきたので、どれどれと思って覗きに行った所、これが想像以上に酷かったのです。回ってきた以下のツイートに全く同感。


問題の記事は、週刊東洋経済オンラインに掲載された作家・評論家の笠井潔と政治学者で文化学園大学助教の白井聡の2人よる「日本は「イスラム国」掃討に行きたがっている」と題する対談。全般を通じて読んでて頭痛がする内容でしたが、特にこの部分が酷い。

占領軍の出血を減らしたいアメリカは、まじめで民間人を安易には殺傷しない自衛隊を、米軍を代行する優秀なパトロール部隊として使おうとするでしょう。ようするに集団的自衛権の行使容認とは、米兵の弾よけとして自衛隊を差しだすということです。'''パトロール要員に専門的で高度な軍事知識や能力は必要ありません'''。この点で、徴兵された兵士は現代戦に無用だという意見は空想的です。(強調部筆者)


あ、喧嘩売ったな。破綻国家で秩序を復活させようと、日々悩みあれこれ議論している関係者に喧嘩吹っかけやがったな。よし、その喧嘩買った。



パトロール兵は高い能力も知識も必要無い?

さて、この対談でどういう議論を二人がしているか、まず確認してみましょう。

治安状態を悪化させないために、占領軍がパトロールをする。このパトロール中の米兵が、路肩爆弾や自爆攻撃や狙撃などによって次々と死んでいく。イラク戦争でアメリカが4000人の犠牲者を出したとして、戦争での死者は1000人ほど、あとの3000人は戦後の治安維持活動での死者です。


まず、Wikipedia見れば片がつくレベルの事実誤認として、イラク戦争での「戦争」での米軍死者は1000名でなく139名です(Wikiでは138名になってるけど)。笠井氏の定義する「戦争」の範囲が、開戦から2003年5月1日のブッシュ大統領の大規模戦闘終結宣言までではなく、オバマ大統領による2010年8月31日の戦闘終結宣言、あるいは2011年12月15日の戦争終結宣言である可能性を一瞬考えましたが、「戦争での死者は1000人ほど、あとの3000人は戦後の治安維持活動~」の一文があるため、国家間戦争としてのイラク戦争と戦後の治安戦を分けている事が窺え、大規模戦闘終結宣言までが「戦争」としていると判断できます。なお、2010年又は2011年のオバマ宣言までを「戦争」と定義した場合でも、その段階で4000人以上の死者が出ており、笠井氏の言っている「戦争での死者」は現実のものと符合しない事は付け加えておきます。

単純な事実誤認は置いておくとしても、戦争そのものより後のパトロールの方が死傷者が多い、という認識はその通りです。イラク戦争で米軍は短期間でフセイン政権と軍を打倒したものの、その後8年以上に渡るイラク駐留と治安戦で多数の死傷者を出しています。「戦争」ではなく「戦後」こそが課題となった例と言えます。この2人の議論は、その戦後の作戦で必要なパトロール兵をアメリカは欲していて、日本の自衛隊をパトロール兵に使おうとしており、パトロール兵には高度な知識も能力も必要無いので徴兵制で調達できる→だから、徴兵制は日本でもあり得る、という認識のようです。



対反乱作戦とハーツ・アンド・マインズ

では、このような事態に米軍が陥ったのは何故でしょうか。有力な説としては、イラク戦争当初の米軍が対反乱作戦(Counter-Insurgency:COIN)を軽視していた事が指摘されています。対反乱作戦とは、敵の殲滅ではなく民衆の保護に重点を置く作戦で、民衆の心(hearts and minds)を掴み(人心掌握)、反政府勢力から民衆を分離することで孤立させる事を目的としています。対反乱作戦は、民衆の心を巡る戦いとも言われており、その起源は古いものです。

19世紀から20世紀初頭のフィリピンやニカラグアにおける作戦や、第二次大戦後の日本と西ドイツの占領と安定化に成功するなど、本来の米軍は対反乱作戦において豊富な経験を有する軍隊でした。ところが、ベトナム戦争での対反乱作戦の失敗以降は、米軍内で対反乱作戦についての研究は停滞し、以後に制定された軍事ドクトリンから対反乱作戦の記述が消えていました。この米軍内における対反乱作戦の停滞により、イラク占領初期における準備不足と治安確保に失敗した可能性が指摘されています。実際、イラク戦争における米軍は火力重視の反面、兵士はイラク人に対する態度は高圧的で、人心の掌握に注意を払っていませんでした。この頃の米兵の認識を表すものとして、第82空挺師団の兵士が上官に語った言葉が伝わっています。

「我々は自分たちの仕事をしました。……敵を殺しました。サダムはもう権力の座にいません。さあ、もう帰りましょう。私は下水道整備や学校建設の手伝いの最中に銃弾を食らったりするために82に入隊したのではありません」

第82空挺師団のある米兵の言葉

このような米軍の認識を改めるべく、イラク戦争初期での占領統治に実績のあったペトレイアス将軍を中心として、2006年12月に新たな軍事ドクトリンとしてField Manual(FM)3-24「対反乱作戦」が策定されました。対反乱作戦についての軍事ドクトリンとしては、20年ぶりの改訂になります。言い換えれば、米軍は冷戦時代の認識のままイラク戦争に突入していた事になります。

このドクトリン策定の翌月、2007年1月にブッシュ大統領はイラクへの2万人の増派を発表し、イラクにおける対反乱作戦が再スタートしました。この仕切り直しが功を奏し、2007年の後半より米軍の月別死者数は減少に転じ、2008年以降の死者は低い数で推移するまでになりました。

イラク戦争における米軍死者推移(筆者作成)

イラク戦争の状況好転は、新ドクトリンに基づく対反乱作戦と増派による所が大きいと分かります。では、具体的にはどんな事をしたのでしょうか。



兵士に高いコミュ力が求められる対反乱作戦

それまでの米軍は前方活動基地(Forward Operating Base: FOB)から「通勤」する形で市街地にパトロール部隊を出しており、一般イラク人とは空間的にも心理的にも隔絶されていました。新たなドクトリンの元では、市街地に小さな歩哨所や治安ステーションを多数設置し、イラク人治安部隊や有志連合軍と共同で市街の警備を行うようになりました。実際に現地のイラク人と交流し、民衆の支持を得るよう行動するようになったのです。

イラク人少年と談笑しながらパトロールする米軍兵士

この他にも、米国政府の関係省庁、国連機関、イラク新政権、国際NGOとの協同が重視されるようになり、文民機関と軍人が連携して復興事業にあたる地域復興チーム(Provincial Reconstruction Team: PRT)も強化されました。これらの事業では、電気水道などのインフラ整備、イラク人の雇用確保、小額ローンの実施等、人心を獲得する為の措置が多数行われています。

これらの施策を実施するに当たり、対反乱作戦にあたる兵士には高い能力が求められます。イラク人の住民や治安部隊等のイラク人と密接に接する事になるパトロール兵士には、最低40時間のイラク文化理解講習が課されるようになりました。また、現地人以外にも、軍隊とカルチャーの違う国際NGOとの協力・調整も大きな課題になりました。カルチャーの違う組織同士の協同の難しさは、ある士官の「戦場に「クジラを救え!」と書かれたTシャツとサンダルでやってきた人間と、どう協力すれば良いか分からなかった」という回想によく現れています。「パトロール兵」と一言で言っても、その任務は複雑に渡るのです。

これら任務に要求される能力は高度な武器の習熟ではなく、建設異なる価値観を持つ人・集団とのコミュニケーションと調整能力、有り体に言えば対人スキルです。これは簡単に得られるものではありませんし、現実に多くの人が苦労しているのは言うまでもないでしょう。それが、国籍も言葉も人種も宗教も思想も文化も違う人を相手にするのですから、並大抵の事ではありません。コミュ障の私には無理です。

イラク人治安部隊員と協同作戦にあたる米海兵隊員


ここまでで、パトロール兵にも高い能力・知識が求められる事が分かって頂けたと思います。特に異文化コミュニケーションなんて、今や大学に学部が出来るような時代ですよ。「パトロール兵のための徴兵」が現実的だとする主張に対しては、大学奨学金目当ての募集兵を大量に引っ張った挙句、そういう連中が捕虜虐待等の大スキャンダルやらかしてイラク人の支持を失ったイラク戦争初期の事実を提示すれば十分だった気もします。もっとも、北朝鮮みたいに兵役期間を13年に設定すればなんとかなるかもしれませんが。

ところで、イラク戦争開戦に重要な役割を果たしたラムズフェルド国防長官は、少数の兵力でフセイン政権を打倒した後は速やかにイラク新政権に権限を移譲し、治安確立などの任務は全てイラク人の治安部隊に任せるべきだとしましが、それがイラク戦争中盤の米軍の大量戦死に繋がりました。訓練装備も不十分なイラク人部隊で治安確立は十分と見積もっていたラムズフェルドの考えに、驚くほど笠井・白井両氏の主張は似通っています。イラク戦争とアメリカを批判する両氏が、イラク戦争を主導したネオコンのラムズフェルドと同じような、人の心は簡単に手に入るという思考・世界観を共有している事は、大変面白い現象だなと思います。

国家再建過程における人心掌握を巡る国家、軍隊、国際NGOらの活動・協同については、イラク戦争以後の国際政治分野で盛んに研究されているホットな分野です。書籍も出ていれば、ネットでタダで読める論文・報告集は腐るほどあります。にもかかわらず、現代の戦争を語る政治学者と評論家が、これらの研究成果をこれっぽちも理解せずに「徴兵制が来るぞ!」と煽り立てている様は、大変見苦しいというか、哀れなものがあります。「民間人を安易に殺傷する鬼畜米兵と安易に殺傷しない自衛隊」という無根拠かつ楽観的なジャパン・アズ・ナンバーワン世界観を開陳しているのは、年々減りつつある昭和人の気概を見せ付けていて、嫌いではないのですが。


【参考論文及びネットでタダで読める研究資料達】










吉岡猛「イラク戦争における戦後処理戦略― 「サージ戦略」への転換とその背景分析 ―」


なお、有料になるが、総論としてまとめてある書籍としては以下を紹介する。


小柳順一「民軍協力(CIMIC)の戦略―米軍の日独占領からコソボの国際平和活動まで」

軍人側からみた民軍協力の話。日独占領統治における民軍協力からコソボまでの歴史的経緯・変遷。また、非常に多く存在する「民軍協力」を示す用語について整理できる。なお、この本は軍隊側(自衛隊側)からの視点なのも注目。


上杉勇司編「国家建設における民軍関係―破綻国家再建の理論と実践をつなぐ」

前掲論文「国際平和活動における民軍協力の課題」の冊子バージョンとも言える(厳密には違うけど)、この分野の基本的文献。


白善燁「対ゲリラ戦―アメリカはなぜ負けたか」

満州国軍や創建間もない韓国軍において対共産ゲリラ作戦に携わり、朝鮮戦争中に31歳にして韓国陸軍参謀総長となったリアルレジェンド、白善燁将軍による対ゲリラ戦のエッセンス本。古い本だが、今も昔も人の心を掴むという点で変わっていないと分かる。アマゾンではプレミア価格が付いてしまっている。



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