2014年7月26日土曜日

2つの「避難」を巡る朝日の記事への違和感

とても違和感というか、モヤモヤとしたものを抱かざるを得ないニュースがあった。
気になったのはdot.asahi.comに掲載された、AERAの以下の記事のこの部分。

ただ、憲法改正に前のめりな安倍晋三首相の「妄想狂的なところ」に怖さを感じ、第2次安倍政権が発足した後、5歳の長男にも英語教育をほどこし始めた。いざというときの海外避難に備えて外貨預金をし、家族全員のパスポートも常備している。

閣議決定後、夫婦の会話は娘の中学受験の話から、集団的自衛権に変わった。政治に関する本を読み始め、少子化や高齢化についても考えをめぐらせる。

「特定秘密保護法も集団的自衛権も、来るものが来たなという感じ。自分の家だけで海外に逃げていいのか。ほかのお母さんたちがどんな思いなのかを知りたい」


集団的自衛権について、朝日等の反対メディアの論調は論理の飛躍や感情論を前に出しすぎていて、正直気味が悪いと思っていたけど、ここまで来るとさすがにドン引きである。

「危険からの避難」は万人に認められた権利であるが、実際の避難に際しては避難コストが問題になる。避難コストは金銭的な面だけでなく、それまでの居住地で築いてきた有形無形の資産――例えば土地や住宅、職や教育、人間関係といったモノ――を全て放棄することになり、言わば難民になる事を選択したようなものだ。そう簡単に避難は決断出来るものではない。

しかし、この記事中の母親達は真剣に国外避難を考えている。安部首相を「妄想狂的」と記事中の母親は述べているが、現状の集団的自衛権行使容認を戦争に直結し、生活を根本から破壊する国外避難を選択肢に入れる方こそ「妄想狂的」だと思う。娘の中学受験の話を放ったらかして、集団的自衛権の話ばかりしているのは明らかにおかしいだろう。

繰り返すが、避難コストは馬鹿にならない。フィクションの話だが、映画「インデペンデンス・デイ」の小説版では、宇宙人の母船が東京上空に来たにも関わらず、普段通りの生活と社会を維持しようとしていた東京の住民はほとんど避難せず、宇宙人の世界同時攻撃で東京は世界都市の中でも甚大な人的被害を被ったという描写がなされる。このように決定的破滅の予兆があっても、多くの人は避難を決断出来ない事は、先の東日本大震災と原子力発電事故でも、被災者以外の避難者がほとんど出ていない事が証明しているだろう。

しかし、危機の最中の情報が錯綜した状況が過ぎ、危険の恐れが無いと分かった今もなお続く行き過ぎた避難に対しては、冷静な目が向けられて然るべきだろう。そして、朝日新聞は過去にそういう記事を書いている。

「日本が終わる」。東京電力福島第一原発の事故後、そんな恐怖に襲われ、妻と子ども、弟夫婦の5人で九州に逃れた。原発がない場所を求め、縁もゆかりもない沖縄へ。ようやくマスクを外すことができた。

放射能は「他のリスクと根本的に違う」と語る。「目に見えないし、情報も玉石混交で、わからないことが多い。だから怖い」

「安心して買い物できる環境を」と7月に食品の放射線測定会社を設立したが、まだ軌道に乗らず、貯金を切り崩す生活が続く。

弟の丹さん(33)も会社を辞めて一緒に沖縄に来た。「僕は東京で被曝(ひばく)したので、10年もすれば病気になる」と真剣に話す。

(中略)

政府やメディアには強い不信感がある。一時は信頼していた学者も「東京はもう安全」と言うのを聞いて信じるのをやめたという。

自分の確信を裏付ける情報だけを探しているのでは。そう問うと、谷中さんは声を震わせた。「真実は私の体の中にあります」




この朝日記事は客観的に物事を伝えつつ、自分だけの真実を追求するあまり避難による生活破壊を厭わない人々について、読者に「この人達おかしい」と異常性を感じさせる構成になっている。この記事はかなり的を得た所があり、実際にこの記事中で紹介されている人物の一人は侮辱容疑で告訴され、今年5月に起訴猶予処分(被疑事実は明白であるが、起訴は見合わせる処分)を受けており、今も「私のツイッターはコントロールされている」と被害妄想を主張しており普通ではない。

そして、この記事と先のAERA記事を読み比べてみよう。原発避難者と集団的自衛権避難者の行動様式は大変良く似ているが、記事の書き方次第で意識高い人にも異常者にも描き分ける事が出来ると分かるはずだ。

原発避難者と集団的自衛権避難者は重なる所が多い。政府や学識者を信じず、「政府やマスコミが隠そうとする真実」を追い求め、根拠が薄弱な情報でも自分の確信を裏付けるものを信じ、内輪だけのグループで内輪だけで通じる会話を介して先鋭化し、自身の主張を出版し続けている。これら共通点は先の朝日記事で書かれている事をなぞっただけに過ぎないが、集団的自衛権行使容認で国外避難を考える人達にも当てはまる。

集団的自衛権行使を巡る議論で問題はあっただろうし、懸念される対米追従で逆に国益を害する可能性もあるだろう。しかし、集団的自衛権行使容認を戦争に直結するかのような飛躍は正常だろうか。戦争禁止の規定がある憲法を持つ国は日本だけで無いし、それらの国も国連憲章で認められた集団的自衛権を保持している(そもそも日本も権利は持っている)。集団的自衛権行使容認を戦争に直結させ、国外避難の準備を始める(そもそもどこに避難するのだろう?)のは、データ的裏付けに乏しい原発避難者とどう違うのだろうか。

むしろ、事実として原発はメルトダウンしており、データ的裏付けは無くとも被害を心配するのは無理からぬ事かもしれない。逆に、発生してもいない戦争から、自身の生活を破壊する国外避難を検討するのは異常に尽きるだろう。にも関わらず、朝日は前者を明らかに異常と感じさせる記事を書く一方で、後者を肯定的に報じている。これはあまりに無節操だろう。

娘の進学問題を話さずに集団的自衛権の話ばかりする親も、避難リスクと被曝リスクを天秤にかける事無く子供の為だと避難する親も、共通するのは家族への関心の低さだ。本人は子供の為と言いつつも、実は自分の事しか見ていない。一方は持ち上げて、一方には冷淡な朝日も、自身の政治的主張に利用できるかそうでないかの尺度で考えてはいまいか。



【関連書籍】

インデペンデンス・デイ (徳間文庫)

個人的に好きなインディペンデンス・デイ小説版。基本ラインは映画に沿ってますが、映画で描かれていない部分が結構おもろいのです。


長有紀枝「入門 人間の安全保障 - 恐怖と欠乏からの自由を求めて (中公新書)」

「避難する権利」とはなんぞや? という方へ。「恐怖」と「欠乏」からの避難が「人間の安全保障」の基本理念なんだけども、本記事は原発避難では実態に基づかない恐怖から避難をするあまり、欠乏に自ら突っ込んでいる人が多いよね、という話でもある。