2013年12月24日火曜日

南スーダンで進展している虐殺の危機

国連南スーダン共和国ミッション(UNMISS)に派遣されている自衛隊が、同じく派遣されている韓国軍の要請により、小銃弾1万発を韓国軍部隊に提供することになりました。


南スーダンのPKO活動に関連し、政府は、陸上自衛隊の銃弾1万発を、PKO協力法に基づき、国連を通じて韓国軍に提供する方針を決めました。
PKO協力法に基づき国連に武器が提供されるのは初めてで、政府は、緊急性が高いことから、いわゆる武器輸出三原則の例外措置として実施したとする官房長官談話を発表することにしています。


今回の措置は緊急性が強く、武器輸出三原則の対象外となるようです。韓国軍が弾薬提供を求めるまでに至った南スーダンで、どのような事態が進行しているのか、南スーダンの事情から現在の状況、韓国軍が提供を求めた背景について解説したいと思います。


南スーダン共和国の概要と内紛

南スーダン共和国は、2011年7月9日にスーダン共和国から分離独立した「世界で最も新しい国家」と言われ、国連を中心とした国際社会が協力して国造りを行っている最中です。日本も自衛隊の2012年1月から施設部隊を国連PKOに派遣し、インフラ整備に協力するなどの活動を行っております。

かつてイギリス植民地であったスーダンは、1956年にイギリスからスーダン共和国として独立しました。しかし、スーダン共和国は北部はアラブ系のイスラム教徒、南部はアフリカ系黒人の土着信仰・キリスト教徒といったように、人種・宗教の地域差が大きい国家で、アラブ系に占められていた政府と南部住民の間で対立していました。南北スーダンの対立は2度の内戦と和平を経て、2011年1月の住民投票により南部の独立が決定し、7月9日の独立に至ります。この時、南スーダンの政権を構成したのが、独立運動を主導したスーダン人民解放運動/軍(SPLM/A)でした。

南スーダンで見られる暴力の特色として、スーダン政府と南スーダン間の暴力に加え、南スーダン内部で住民同士でも苛烈な暴力が行われていた点にあります。

SPLA はディンカとヌエルと呼ばれる2つの民族が主流ですが、かつてスーダン政府は他の部族にSPLAと対立する民兵組織を結成させるなど、南スーダン内の民族分断対立を構造化させたため、現在でも南スーダン内にはSPLAに反発する部族がいます。また、当のSPLAも、ディンカ人が立ち上げた当初は、ヌエル人のアニャニャIIと呼ばれる反政府組織と敵対していた過去があります。SPLAは幾度もディンカ人の主流派(トリット派)とヌエル人の反主流派(ナシル派)の離散集合を繰り返していましたが、2002年1月にナシル派はSPLAに復帰し、南スーダン独立に至るまでは協力関係が続いていました。しかし、2013年7月に、ナシル派のトップであるマシャール副大統領が解任され、12月14日にはマシャール前副大統領によるクーデター未遂事件が発生に至ります。現在の南スーダンの状況は、このように複雑な民族間対立を背景にしたSPLAの内紛と言えそうです。



韓国軍の事情

さて、韓国軍が自衛隊に弾薬を求めてきた背景としては、韓国軍が活動している東部ジョングレイ州の州都ボルに反乱軍部隊1000名が接近しており、防衛体制を強化する必要に迫られた事と、日本と韓国が共に北大西洋条約機構(NATO)で標準化された5.56x45mm NATO弾と呼ばれる弾薬を使用している点にあります。UNMISSに兵力を派遣した国は、NATO弾を採用していない国が多く、大量に融通できる部隊が自衛隊しかなかった為とされます。なお、少数名展開中の米軍からも韓国軍は少量の弾薬の提供を受けています。

UNMISS参加部隊と展開地域(防衛省資料より

今回の小銃弾の提供は、国連を通じて行われます。これは、PKO協力法案で物資提供を国連組織に認めていますが、個別の国家に対しては認めていないためです。実は2012年に自衛隊と韓国軍の間で物資を相互に提供できる、物品役務相互提供協定(ACSA)を締結する予定でしたが、締結直前になって当時の李明博政権から延期の申し入れがあり、以後進展しておりません。ACSAでは弾薬を含む武器の提供は認められていませんが、今回のPKO協力法に基づく提供もこれまでの政府答弁で武器を含まないとしてきたため、仮に日韓ACSAが結ばれていたら、日韓で直にやりとりしていた可能性もあります。今回の事態を受けて、日韓ACSAに進展が出てくるかもしてません。

提供される小銃弾が1万発と聞いて「そんなに大量に!」と驚かれる方も多いと思いますが、派兵されている韓国軍兵士273名に1万発を均等に分けると、1人あたり40発以下で一般的な小銃の30発入り弾倉2個分にも満たないものです。全員が連射すると、数秒で撃ち尽くしてしまう量です。それほどの量でも弾薬を集めている韓国軍の状況は、かなり切迫しているのではないかと考えられます。元々、政府軍であった反乱軍はかなりの重装備を持っているものと思われますが、対するPKO部隊は重装備は限られています。現に避難民を保護していたインド軍が攻撃を受け、死者も出ているなど予断を許しません。



スレブレニッツァの虐殺に似た状況

軽武装の国連PKO部隊に重武装の武装勢力が迫る展開は、1995年のスレブレニツァの虐殺を彷彿とさせます。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争中、オランダ軍を中心とする軽武装の国連PKO部隊が展開してたスレブレニツァで、8000名以上が虐殺されたスレブレニツァの虐殺は戦後ヨーロッパで最大の虐殺事件と呼ばれ、大きな衝撃を与えました。軽武装で人員、物資共に足りていなかった国連軍部隊は、重武装の武装勢力を前にして抑止力足りえず、虐殺を制止することが出来なかった事も問題になりました。今回、南スーダンで国連キャンプには難民が集まっているとされ、国連PKO部隊はその保護を行っており、状況はかつてのスレブレニツァをなぞっています。事態の進展によっては、比較的安定している首都ジュバに展開している自衛隊にも脅威が及ぶ可能性があります。

スレブレニッツァの虐殺被害者の墓地(写真:MichaelBueker)

今回の提供は、法的には問題が残るものの、その緊急性・重大性を鑑みれば妥当な判断と思います。韓国は25日には装備を空輸するとしており、それまで事態が急激に悪化しなければ、ある程度の抑止力として期待できるかもしれません。しかし、事態が好転しない限り、国連PKOと反乱部隊の衝突、あるいは住民虐殺の恐れは燻り続けるでしょう。

自衛隊、韓国軍を始めとする派遣国要員、そしてなにより南スーダンの人々のため、事態の一刻も早い収拾を望みます。



【参考】

大林一広「内戦後の暴力と平和構築  ―南(部)スーダンの予備的分析と研究課題の模索―」

栗本英世「「上からの平和」と「下からの平和」―スーダン内戦と平和構築」

また、スレブレニッツァの虐殺に関しては、長有紀枝「スレブレニツァ―あるジェノサイドをめぐる考察」
が多分、日本語における唯一の専門書籍。

また、Wikipediaの「スレブレニッツァの虐殺」の項目は、無料で読めるにしては信じられないくらいクオリティが高いので必読。


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