2013年10月19日土曜日

戦車に代わり得るモノは何か? 機甲戦理論における戦車と将来戦

いやねえ、この話題、最近は避けてきたつもりだったんだけど、向こうから名指しされたらねえ。

このブログで、陸戦関係の記事を書くと、JSF氏やdragoner氏を始めとした、戦車大好き派の方々から多数のご意見を頂ける状態でした。

その主な理由は、私が戦車の削減を主張していたからですが、私が機動戦闘車を推していたからでもあります。


久遠数多氏、「陸戦関係の記事を書くと、ご意見頂ける状態でした」とか言うていますが、そもそもの発端は氏が「H25概算要求-その5_10式戦車はせいぜい3両でOK」みたいなエントリを繰り返した挙句、「戦車増強論者に提示する5つの命題: 数多久遠のブログ」で、「反論ある方はぜひ答えていただきたい」とドヤ顔が見て取れる事仰ったので、戦車増強論者じゃないけど初めてエントリに付き合ってあげただけなんですが、そういう身から出た錆的な経緯はさっぱり失念なさっているようです。

私は戦車の定数削減に反対していますが、少なくとも増強を主張してはいません。ところが、なんか増強論者の様にカテゴライズされちゃってるので、「戦車は3両で充分」と小隊編成未満の年間調達数(1個連隊編成に20年もかかる)を提示してきた氏に対して、もう戦車不要論者と言っていいなとカテゴライズさせて頂いた訳です。

で、最近。ツイッター界隈が妙に戦車不要論で賑やかになってきた。ああ、またあの人やらかしたのかあ、と思いつつあんま関わらないようにしようかなー、と思っていたのですが……


わあ、軍事評論家の江藤巌先生もドン引きしちゃってるナリ……。久遠数多氏のあまりの戦闘的ファッションに、皆さんドン引きになっていたので、相手しなきゃいけないのかなあ、とウネウネ動き始めた次第です。

さて、ツイッターで局所的に話題騒然だった氏のエントリをじっくり確認すると、話題の中心はエントリの題でもある、「戦車に引導を渡す機動戦闘車」でした。

機動戦闘車
先日公開されたばかりの機動戦闘車ですが、氏の言う通りに戦車に代わり、引導を渡す存在になるのでしょうか?

ここではさんざ繰り返された「●●における戦闘では~」というミクロな視点ではなく、今回は機甲戦理論が歴史的にどう形成された過程を振り返り、戦車に求められているものは何だったのかを明らかにしたいと思います。その上で、機動戦闘車等の装輪装甲車で代替が可能なのかを考えていくとともに、将来戦理論においてどのような位置づけを戦車は担うのかも触れたいと思いますよ。



機動が出来て、ずっと機動出来たらいいのに……

海空戦と異なり、陸戦での最小単位にして最も重要、かつ脆弱なのは人間です。陸戦の歴史は、人間という極めて制約の多い”兵器”の限界を、いかに超えるかの試行錯誤でした。その成果として生まれたのが、人間以上の機動を有する騎兵でした。

ところが、第一次大戦に至り、鉄条網と機関銃に騎兵は阻まれ、機動を完全に封じてしまう戦場が生起してしまった。機動が失われ、最も脆弱な兵器である人間が磨り潰し合う戦場が生まれた。この一次大戦の戦訓を踏まえ、人間が機動できない環境下でも機動し、敵戦力そのものより、指揮・統制を麻痺させる機甲戦理論が生まれました。その主たる先駆者はドイツとソ連です。ドイツの電撃戦により、一次大戦の教訓を火力主義として結実していたフランスは頼みのマジノ要塞線をさらりとスルーされ、1ヶ月で降伏に至ります。

機甲戦にはこのような歴史があるわけですが、戦車に替わって装甲車を使うという主張は、未だにこの歴史的経緯で、自説がどのような位置にあり、どの流れを汲むのかを明らかにしていません。

機甲戦理論は現在も形を変え、米海兵隊の機略戦等に発展しています。現代世界で最も機動を重視している軍隊である米海兵隊は空中機動化でも先端を走り、長い年月をかけオスプレイを開発しました。他にも機動性に優れた水陸両用車、LAV-25のような装輪戦闘車両も保有しています。ところが、こんなに機動重視の海兵隊であってさえ、未だに戦車戦力を手放していない。

なぜかって、そりゃ代替できるものがないからです。

ドイツ機甲部隊の生みの親、グデーリアンは「電撃戦」でこう書いています。

装甲兵器による攻撃によって従来よりも機動性が高まり最初の突破が成功した暁に、なおその機動を継続することが可能なこと、この点こそ”奇襲戦法”の必須条件だと信じているのである。


「機動を継続すること」、ここが戦車の最大の存在意義です。敵の抵抗に抗する装甲、敵の抵抗を粉砕する砲火力、いずれも欠けては機動は敵に阻まれ、継続できないのです。オスプレイ、水陸両用車、装輪戦闘車両、いずれも高い機動力を持ちますが、最初の突破口を開けたとして、その勢いを継続できるでしょうか。米海兵隊が戦車等の重戦力を保持しているのは、機動継続の意志があるからです。そして、海兵隊の後には、更に重武装の米陸軍がやってきます。戦車とともに。

つまり、戦車を理論的に代替できる存在は、未だに見つかっていないのです。

もし、小口径火砲に耐える程度の装甲の機動戦闘車によって、戦車を代替できると考えているのなら、それは根拠に欠けた話だと思います。もし代替が可能ならば、新たな理論を根拠付きで主張して頂きたいと思いますが、たちの悪いことに、久遠数多氏は戦車は機動戦闘車に代替されると主張する節において、一切の根拠を示していません。

しかしながら、新大綱の次の大綱が発表される頃には、90式の退役を見越した装備調達になるはずで、その時には、ロシアが北海道への侵攻の構えでも見せない限り、機動戦闘車は、90式に替わる装備として位置づけられるでしょう。

現在は、まだ試作車が公開されただけの状態で、陸自の中でも、機動戦闘車の評価が出来ている訳ではありませんから、まだまだ紆余曲折はあるはずですが、開発が順調に進めば、機動戦闘車は、戦車に引導を渡す車両となるはずです。


何故、90式に替わる装備に位置づけられるのか、どうやって戦車に引導を渡すのか、HOWの点が完全に抜けきっており、全く主張として成立していないのです。



俺はもう、このマシン(戦車)には頼らない。未来は保証されていないけれど

現代における戦車が、非常に高価なユニットであるのは間違いありません。優先度も、その他の兵器と比べ、高いものではありません。しかし、他の兵器で代替できる、不必要であるというのなら、その根拠を現代戦における理論的枠組と共に提示の上、ご説明頂きたいものです。

なお、将来戦における戦車の役割については、将来の戦闘様相として議論が進んでいるネットワーク中心の戦い(NCW)においても説明ができます。プラットフォーム中心の戦い(PCW)の頂点として生まれたイージス艦が、海戦におけるNCWの中核として機能する事実がまさにそれです。将来の陸戦様相は、現代の海戦の様相を呈すると予想されており、将来戦においても、生存性の高い戦車は生き残る可能性が高いと言えます。


最後に。

戦車不要論に対して反論を行う人に対し、戦車絶対主義かのような扱いをする意見がありますが、私は明確にこれを否定します。全ての兵科・職種には時代的意味があり、時代的必然から淘汰或いは変化していきました。私は現状の維持と漸進的発展を願っているのであり、革命ではありません。歴史的に形成された1つの主要な理論に対して、唐突にそれが不要であると主張する人は、メインストリームの理論に反発するエセ科学やホメオパシーと何が違うのでしょうか。過去の戦車不要論者達が統一的理論を形成せず、その場限りの説明に終始してきたことは、まさにエセ科学のそれと同じでしょう。


武器マニアの方々は、技本開発官の言葉で舞い上がってますが、日本の防衛を効率的に行うためには、機動戦闘車が戦車に引導を渡してくれることが適切でしょう。


分かったから、その「効率的防衛」とやらのフレームを、現状議論されている将来戦理論との関連性・ケーススタディ・先行研究込みで示して下さい。まずはそれから。




【関連書籍】

戦車とミサイルの比較について書こうとしたが、長くなるので辞めた。古いデータではあるが、ジェイムズ・F・ダニガンは「新・戦争のテクノロジー」において、戦車とミサイルの時間あたり投射量を比較し、戦車の優位性を示している。この点において、現代もミサイルの次発装填が人力・あるいは限界のある多連装ランチャ式に頼っている以上、状況は変わらない。



また、機甲戦理論の成果、電撃戦については、文中であげたハインツ・グデーリアンの回想録「電撃戦」を参照。



ただし、実際の電撃戦で見られた混乱と破綻の予兆についての批判的検討として、「電撃戦という幻」をチェックしておくとなお良いと思います。理論と実際の違いは、どの業界にも……。



手軽に機甲戦理論の歴史的形成過程について知りたいなら、「機甲戦の理論と歴史 (ストラテジー選書)」が良いと思います。オヌヌメ。



また、現代の米海兵隊のドクトリンについては、「アメリカ海兵隊のドクトリン」を参考に。基本は電撃戦だと分かります。





深夜に狂って書いたとしか思えネぇノリだぜェ!

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