2013年5月3日金曜日

戦車不要論者って、軍隊不要論を否定できます?



GWも後半、私は長野で野生動物と戯れてますが、皆様いかがお過ごしですか? 

GW中はブログ更新しないつもりでしたが、昨日ツイートした以下の文がそこそこRTされていたのが妙に気になったので少々。

 



このツイートがネタ的に受けたのって、戦車不要論についての関心が、その是非に関わらず多くの人にあるんじゃないかなあ、と感じています。

戦車不要論って、日本海軍善玉論やロンメル無能論、乃木無能論等と同じように、軍事オタクにとっての通過儀礼の一つみたいなもんだと思っているんですが、未だ無くなりませんよね。戦車不要論について、元防衛大学校教授の杉之尾孝生氏も「第四次中東戦争を体験するまでもなく、「戦車無用論」は、1916年の戦車誕生の以前から今日に至るまで、各種各様の形で出現してきた」と述べておりまして、この事実からも軍事研究者のみならず趣味者にとって、戦車不要論をドヤ顔で説く人を見かけた場合は「あーはいはい、おじいちゃんお昼ご飯はまだですよー」とスルーするのが正しい姿勢だと窺わせます。

でもね、「我が国ニッポンの特殊性」というモノが戦車不要論に結びつくと、途端に妙な説得力を持つように錯覚できるのは事実かとも思うのです。「特殊性」って、便利な言葉ですよね。私も多用したいです。

その「ニッポンの特殊性」で、最も戦車不要論と親和性が高いのは、日本は島国という理由です。曰く、「つまり、着上陸侵攻を行なうのであれば、海空自衛隊(+陸自対艦ミサイル部隊)をほぼ壊滅に近い状態にまで追い詰めなければ、実施は不可能です」(by 久遠数多氏)とかね。

一国の海空戦力を全部破壊してから上陸戦しかけますよって、どんだけ悠長な侵攻国様で、東西南北に長〜い我が国の縦深とはなんだったのか、などなど考えさせる想定であります。極端な話、ナポレオンはドーヴァー海峡における一時的かつ限定的な優位(たった数時間だ!)さえ確保出来れば、イギリスへの着上陸侵攻は可能だと考えてその機会を虎視眈々と狙い、イギリスも沿岸防衛強化していたりしていたんですが、まあそういう反論は置いときましょう。

ここで注目すべきは、 海空戦力が壊滅した状態で日本詰み → 政治的・経済的に本土決戦なんて出来ないやろ。という流れがその後にやって来て、最終的に本土決戦できないんじゃ戦車ってムダじゃね? という戦車不要論に繋がることです。

正直な話、10年以上前に2ch軍事板でさんざ戦車不要論は議論されていて、この手の戦車不要論見かけたら、2chのログ探って来いとしか言い様がない。

でも、ここで出てくる「政治的・経済的に日本は本土決戦を許容できない」というポイント。この手の議論もまた、戦車不要論と同じく各種各様の形で出現しているのであります。世界中にね。




究極の武器は非武装なんだよお!



では、こっから本題。
まず、書籍の紹介をしましょう。 

"The Ultimate Weapon is No Weapon: Human Security and the New Rules of War and Peace "



「究極の武器は非武装」。凄いタイトルですね。

このタイトル見て、「あー、左巻きのお花畑の妄言かよ」と思われる方も多いかもしれない。でもこの著者、メアリー・カルドー、イギリスの市民運動家にして政治学者、数多くの紛争地域を渡り歩いた御仁。著書の「新戦争論―グローバル時代の組織的暴力 」は、クラウゼビッツ戦争論の「政治目的達成の為の戦争」という戦争観に対して、「戦争のための戦争」という自己目的化される戦争を描き出し、防衛省防衛研究所の石津朋之国際紛争史研究室長による「名著で学ぶ戦争論(日経ビジネス人文庫) 」でも、名著の一冊として連ねております。
 





つまり、お花畑の非武装論者によるものでなく、国際軍事・政治上の重要な理論家であり、政治学者が非武装論を説いているわけです。

彼女の主張の大意は、現代の紛争は国家対国家の戦争はほとんど生起せず、アメリカの仮想敵であるロシア・中国も強権政治ではあるが、両者共に国際市場システムから利益を得ている。国際市場から利益を受けている国が大勢の中、システムを破壊する国家間戦争が発生しうるだろうか。「F-22は究極の兵器だよね。でも、それがアフリカで起きている現代の紛争の解決に役立つの?」(超訳)という一節が面白い。


彼女の主張について、自分は割と反論はあります。政治経済上の結び付きが強くなり、国家間戦争は起きないと言われた時代に第一次大戦は起きたじゃないか、とか。


でもね、カルドーに反論する事のできる人は、政治経済上の問題があっても戦争は継続し得る、という考える人だけじゃないかと思うのですよ。だって、政治経済上の問題で戦争回避できると思っている人なら、経済上の問題で戦争は生起しないとするカルドーの主張に同意するか、近い考えに属することになるでしょ?




戦車不要論者って、軍隊不要論を否定できます? 

戦車不要論の話に戻ろう。 

戦車不要論の論拠である、海空戦力が壊滅した(そんなものが生起するかはさておき)段階で、日本の戦争意思継続は困難になるという前提。これは政治経済上の問題、具体的には海上封鎖と、想定される本土決戦の大被害で、日本の戦争継続意思が困難と見る考え方だ。


で、この論拠を元にして戦車不要論を述べる人って、「軍隊そのもの不要だから、自衛隊解体しようぜ!」という主張に当然賛同しますよね? 論理的に。

カルドーの問いかけは、軍隊そのものに対する必要性の投げかけにも及ぶ大きなものですが、戦争意思継続が政治経済的問題に制約を受けると考える戦車不要論も、その入口に差し掛かっている訳です。多くの戦車不要論者はそれを自覚していない。

無自覚なままで、海空戦力増強しようぜ! とか言っている戦車不要論者の多いこと多いこと、もう痛々しくて見てられない(ノ∀`)。

自分が何を言っているのか、まず考えてから主張しようね。





おまけ

ちなみに、カルドーに近い意見も軍側からあり、イギリスのルパート・スミスの「The Utility of Force: The Art of War in the Modern World (Vintage) 」があります。ルパート・スミスは、英国軍人として北アイルランドにおける非正規戦を経験し、NATOの副司令も務めた実戦経験豊富な人物ですが、ボスニアにおいてスレブレニツァの虐殺を目の当たりにし、現在の軍隊の組織や装備では、現代の戦争形態に対応できないと主張しています。カルドーほどアグレッシブではないにしろ、現用の装備大系では「新しい戦争」に対応できない、という点で同じです。
カルドーと同じく、これからの戦争を考える上で、無視できない存在ですので、興味ある方はどうぞ。英語だけど。