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2014年5月5日月曜日

ドイツの例から「積極的平和主義」を考える

4月29日よりヨーロッパ6カ国を歴訪中の安部首相ですが、出発前の会見で記者団に今回の訪問の意義について語りました。

首相は出発前に羽田空港で記者団に対し「欧州は世界の世論形成、秩序づくりに大きな影響力を持っている。日本の成長戦略や積極的平和主義を発信したい」と欧州歴訪の意義を述べた。ウクライナ情勢については「話し合いを通じた平和的解決に向け、どのような協力をしていくべきか、率直な意見交換をしたい」と語った。


この「積極的平和主義」とは、昨年末に策定された『国家安全保障戦略』(リンク先PDF)の中で、「我が国が掲げるべき理念」として位置付けられています。一言で表すなら、「国際社会の平和と安定及び繁栄の実現に我が国が一層積極的な役割を果たし、我が国にとって望ましい国際秩序や安全保障環境を実現していく」方針の事で、具体的には国連平和維持活動等への積極的参加、米国やその同盟国との関係強化、外交努力や人的貢献による国際秩序の維持・紛争解決を行います。

世界の平和に日本が積極的に貢献していく事に対して、反対する向きは少ないでしょう。しかし、積極的平和主義を行う「覚悟」が、日本政府、そして日本国民にあるのでしょうか。日本と似たような立場の戦後を経験し、早くから世界平和への積極的関与を行ってきたドイツの事例を見て、積極的平和主義とは何かを考えてみたいと思います。

日本と同じく、第二次世界大戦の敗戦国として戦後をスタートしたドイツは、東西対立の最前線に位置していた事もあり、北大西洋条約機構(NATO)や欧州安全保障協力機構(OSCE)といった、多国間の安全保障枠組みの中での防衛を基調としていました。この点が日米安保条約という二国間の安全保障を中核に据えていた日本と異なる点ですが、海外への派兵はNATOの域内に留めるという基本法(憲法に相当)解釈が冷戦期は維持されており、国外派兵を認めていなかった日本と事情が似ています。この多国間安全保障に加え、「不戦の原則」「大量殺戮の阻止」が、第二次大戦でのドイツからの反省点として、戦後ドイツの安全保障の中核概念になりました。

このように域外派兵に抑制的だったドイツにも転機が訪れます。1990年の湾岸戦争の際、多国籍軍への資金提供に留めていたドイツは、国内外で「小切手外交」と批判を受けます。この批判を受け、コール首相はそれまでNATO域外の派兵を禁じていた基本法解釈の変更を行い、ユーゴ紛争やソマリアへの派兵を行う事になります。この経緯は湾岸戦争への対応で同様の批判を受けた日本とよく似ており、自衛隊のペルシャ湾派遣やPKO協力法制定、更には現在問題になっている集団安全保障についての憲法解釈変更へと繋がっています。

基本法の解釈変更により域外派兵の道を開いたドイツは、その後も1999年のセルビア空爆への参加、2001年のアフガニスタン派兵等、積極的に軍事力の行使を含む、国際平和活動に参加する事になります。当時は社会民主党(SPD)・緑の党の左派連立政権で、ドイツは海外派兵に慎重になるとみられていました。ところが、ボスニア紛争の最中の1995年に起きたスレブレニツァの虐殺を受け、ドイツの安全保障の中核概念であった「大量殺戮の阻止」がクローズアップされる事になります。シュレーダー政権は「大量殺戮の阻止」が「不戦の原則」に優越する概念であり、大量殺戮を阻止する為には武力行使も辞さないという考えから、アルバニア系住民への迫害が行われていたセルビアに対する空爆に踏み切りました。


握手するシュレーダー独首相(当時、左)とブッシュ米大統領(当時、右)

2001年の同時多発テロ後は、インド洋での米英軍の作戦を海上から支援するとともに、アフガニスタンで治安維持活動を行う国際治安支援部隊 (ISAF) へもNATOの一員として、兵力を派遣する事になります。このアフガニスタン派遣は、開始から10年以上経つ今現在も続いており、ドイツ軍は300名以上の死傷者を出しております。この海外派兵の死傷者を巡り、右派政党が派兵を決定した政権を批判する等、日本とは全く逆の現象も起きています。


アフガニスタンで殉職した有志連合軍兵士、ドイツ軍兵士らの慰霊碑

ドイツ軍のアフガニスタン派遣を巡っては、2009年9月には「クンドゥス爆撃」と呼ばれる事件も発生しています。アフガニスタン北東部のクンドゥス付近で、武装勢力タリバンがタンクローリーを強奪する事件が起き、派遣ドイツ軍のゲオルグ・クライン大佐はタンクローリーが自爆テロに使われると判断し、米軍に対してタンクローリーの爆撃を要請しました。ところが、タンクローリーの周囲に現地住民が集まっていたため、爆撃により民間人に多数の死者が出る惨事となり、ドイツ国内外で政治問題化しました。また、現地のドイツ軍憲兵の調査で民間人の死者があったと報告されていたにも関わらず、フランツ・ヨーゼフ・ユング国防相は「爆撃に民間人の死者は含まれなかった」と虚偽の発表をしたために、更迭される事態にまで発展しました。

これらドイツの事例と同じようなことが、自衛隊派遣で起こらないとは限りません。むしろ、必ず起きると考えた方が間違いないと思われます。先日の朝日新聞の単独インタビューに応じた陸上自衛隊の井川賢一・南スーダン派遣隊長は、今年1月上旬に自衛隊宿営地近くで銃撃戦が発生した際、隊員に小銃、銃弾を携帯させ、「正当防衛や緊急避難に該当する場合は命を守るために撃て」と指示していた事を明らかにしています。既に戦闘すれすれの所まで、自衛隊は活動しているのです。

不安定な地域に赴くことは、撃たれる可能性、撃つ可能性が存在し、なにより自衛官が死傷する事もあるという認識を、どれほどの日本国民が覚悟を持って受け入れているのでしょうか。仮に今後、自衛隊が派遣先で戦闘に巻き込まれ死傷者を出した、あるいは民間人を誤って殺傷してしまったという事が起きた場合、その責任は誰が取る事になるでしょうか。このような事態が起きた場合、政治問題化することは容易に想像できますが、国際社会に積極的平和主義を行うと宣言してしまった手前、死傷者が出た、出してしまったと積極的平和主義を取り下げる事は簡単にできません。


多くの死傷者や民間人の誤爆を引き起こし、国内で大きな論争を巻き起こしてもなお、ドイツは海外派兵を続け、大国の責任として国際平和への貢献を履行しています。このドイツの自国民の流血、そして他国民をドイツ人が誤って殺してしまうリスクを厭わず、大量殺戮の阻止と国際平和の実現を目指す覚悟は大変立派なものです。対して日本は、自衛官・民間人の死にどこまで耐える覚悟が出来ているのでしょうか。自国民・他国民の犠牲をどこまで許容できるか、積極的平和主義はそういう命の計量すらも私達に問いかけているのかもしれません。


【関連】

中村俊哉「ドイツの安全保障規範の変容:1999-2011年の海外派兵政策」

ドイツの安全保障政策の変容について、冷戦以後の変化と、冷戦期の基本方針について分かるネットで多分一番の論文。科研費助成ですので、無料で読めます。


長有紀枝「スレブレニツァ―あるジェノサイドをめぐる考察」

ヨーロッパで起きた大量虐殺としては戦後最大規模で、冷戦終結後の国際平和維持活動のあり方を一変させたスレブレニツァの虐殺の論考。欧米では衝撃的な事件として伝えられているが、日本では事件そのものの知名度が低い。そのスレブレニツァの虐殺の、数少ない日本人による論考。






2014年4月18日金曜日

南スーダン国連PKO宿営地攻撃と、迫るPKO撤収

昨年末、クーデター未遂事件を発端とした南スーダンの騒乱で、国連南スーダン派遣団(UNMISS)に派遣されていた自衛隊部隊が、現地に展開する韓国軍の要請で銃弾1万発を提供した事が大きく報じられました(当時の状況については、拙稿「南スーダンで進展している虐殺の危機」参照)。しかし、今年に入ってからはウクライナ情勢の方に関心が移ったのか、南スーダンの問題はあまり報じられなくなりました。


南スーダン地図。自衛隊は南部の首都ジュマ付近に駐留(防衛省資料より)

しかしながら、南スーダンでは締結されたはずの停戦協定を反故する形で戦闘は継続中で、騒乱から現在までに100万人の難民が発生しています。17日には、昨年実弾提供を受けた韓国軍も駐留するジョングレイ州の州都ボルで、国連PKOの宿営地が民兵の襲撃を受け、兵士や避難民に死傷者が出る事態になっています。


 【ナイロビ共同】南スーダン東部ジョングレイ州の州都ボルで17日、国連平和維持活動(PKO)基地が武装集団に襲撃され、ロイター通信などによると、基地に保護されていた避難民ら48人が死亡、多数が負傷した。PKO隊員2人もけがを負った。


警備にあたっていた韓国軍、インド軍兵士も応戦し、銃撃戦が発生したとも伝えられ、国連の潘基文事務総長は攻撃を強く非難しています。南スーダン情勢は、悪い方向で1つの区切りを迎えたのかもしれません。

南スーダンとして独立する以前の内戦では、住民間の暴力が深刻だったという特徴があり、現在も住民に対する虐殺が政府・反政府勢力双方で行われています。国際的な人権NGOのヒューマン・ライツ・ウォッチは、政府・反政府双方の部隊が略奪・破壊・民族に基づく超法規的処刑等の戦争犯罪を行っていると非難しており、ボルの周辺でも犠牲者を埋葬する穴が無数に掘られています。(下は南スーダン政府・反政府勢力双方による戦争犯罪が行われていると非難するヒューマン・ライツ・ウォッチの動画)





今現在進行している問題の厄介な所は、南スーダン政府が国連PKOをも目の敵にしている事です。ボルの国連宿営地には5,000人の避難民が暴力を恐れ避難していますが、南スーダン政府は国連宿営地に反政府勢力が匿われていると度々非難しており、宿営地周囲では国連PKO撤退やヒルデ・ジョンソンUNMISS代表の国外退去を求める数千人規模のデモ活動も行われています。3月には国連において、南スーダンの現副大統領が西側諸国を「植民地主義」と批判するなど、南スーダン政府と国際社会との断絶が大きくなっております。今回の国連宿営地襲撃を行った民兵の背後関係は明らかではありませんが、政府、反政府側どちらも黒幕である可能性もあります。

4月現在、UNMISSには自衛隊の施設部隊およそ400名が派遣されており、首都ジュバ付近でインフラ整備、騒乱発生以後は難民支援を行っております。UNMISSの活動期限は2014年7月までとなっており、自衛隊は準備期間も含めて10月末までに撤収する計画です。状況の進展によっては延長される可能性もありますが、前述のように国連と南スーダン政府の関係が悪化している中、南スーダン政府がUNMISSの駐留延長に同意する可能性は低く、自衛隊のPKO派遣の根拠となるPKO協力法では当事国政府の同意が前提条件のため、そのまま撤収する事になると思われます。

問題は、仮にUNMISS撤収までに事態が安定に向かわない場合、撤収によりUNMISS保護下の難民は虐殺される危険がある点です。撤収が確定した場合、保護を求める難民が怒りから暴徒と化し、撤収するUNMISSを攻撃する可能性もあります。ユーゴスラビア内戦では、撤退しようとするオランダ軍の装甲車に留まってくれるよう要求したボシュニャク人が、要求が拒否されると手榴弾を投げてオランダ軍兵士1人が死亡した事例があります。自衛隊が展開している首都ジュバは比較的情勢が安定しているとされ、撤収時のトラブルは少ないかもしれません。しかし、各地のUNMISS部隊は施設内に大量の難民を保護しており、撤収後の難民保護の体制構築が撤収に向けた課題となります。

UNMISSが撤収する場合、残された難民の保護を南スーダン政府にどう約束させるか、そして残される難民を説得できるだけの材料を準備できるかが重要になります。国連から東アフリカ諸国からなるIGAD(政府間開発機構)等の他の国際機関への監視引継ぎ、南スーダン政府に保護を確約させるだけの国際的圧力等、様々な手法で臨む必要があります。当事国の同意が得られなければ撤収するしかない日本政府は、難民を保護すると共に、自衛隊員や各国兵士が安全に撤収できるよう、撤収に向けたスキーム作りに積極的にコミットメントし、出口戦略を固めていく必要があるのではないでしょうか。



【関連書籍】





2014年1月21日火曜日

引き際が難しい、南スーダンPKO

2013年12月15日に勃発した南スーダンの内戦は、1月19日には停戦合意に至ったとの報道もなされましたが、依然として戦闘が続く地域もあると伝えられており、戦闘終結の見通しは立っておりません。

南スーダンは2011年にスーダンから独立した新しい国で、国連は国連南スーダン共和国ミッション(UNMISS:United Nations Mission in the Republic of South Sudan)を組織し、各国は南スーダンの国造りを支援してきました。日本も2012年から、陸上自衛隊の施設部隊を派遣し、首都ジュバ近郊で300名以上の隊員がインフラの整備等を行っています。

南スーダンで道路整備を行う自衛隊(防衛省サイトより)

日本では国連PKO活動へ参加する基準として、PKO参加5原則を定めており、UNMISSへの参加もこの5原則を満たしているとの判断から参加しました。ところが、内戦の勃発により、その前提が揺らています。ここで、5原則の内容を見てみましょう。


  1. 紛争当事者の間で停戦合意が成立していること。
  2. 当該平和維持隊が活動する地域の属する国を含む紛争当事者が当該平和維持隊の活動及び当該平和維持隊への我が国の参加に同意していること。
  3. 当該平和維持隊が特定の紛争当事者に偏ることなく、中立的立場を厳守すること。
  4. 上記の基本方針のいずれかが満たされない状況が生じた場合には、我が国から参加した部隊は、撤収することが出来ること。
  5. 武器の使用は、要員の生命等の防護のために必要な最小限のものに限られること。

昨年末の内戦勃発で第1原則が崩壊しており、今現在伝えられている停戦合意も、今後の展開により、反故にされる可能性が捨てきれない状況です。第4原則では、第1から第3までの原則のいずれかが満たされない場合、部隊を撤収する事を求めています。

PKO参加の自衛隊部隊の撤収については、12月24日の菅官房長官の会見1月6日の小野寺防衛大臣の会見においても否定されています。政府の見解としては、自衛隊が活動する首都ジュバは情勢が安定しており、引き続き情勢は注視するが撤収は考えていないようです。また、安倍内閣は2013年12月17日に閣議決定された「国家安全保障戦略」で、世界の安定に積極的に関与する事を示した「積極的平和主義」を打ち出したばかりで、他国に先駆けてUNMISSから手を引く事はあり得ないという見方が強いと報道されています。今ここで撤収しては、「積極的平和主義」が看板倒れになると懸念されているそうです。

しかしながら、以前から「積極的平和主義」と同様に、世界の安定への積極的関与を打ち出し、平和活動への自国軍参加を積極的に行っていたドイツでは、10年以上に渡るアフガニスタン派遣で300名以上の死傷者を出しており、政府は厳しい批判を受けています。ドイツ軍は平和目的で派遣されており、戦争下にある地域への派遣は違法とされています。しかし、多くの犠牲者を出したアフガニスタンは戦争下ではないのかという批判に対し、ドイツ政府はアフガニスタンの状況について、”Kriegsaehnliche Zustaende”(「戦争に類似した状態」)にあると説明しました。「戦争に似ているが戦争ではない」と言ったわけです。ドイツ政府のこの詭弁は国民の顰蹙を買いましたが、首都ジュバ近辺が安定している事を根拠に自衛隊撤収を否定した日本政府も、今後の事態の推移によっては、ドイツ政府と同じ罠に陥る可能性も捨て切れません。


アフガニスタンで殉職したISAF兵士、ドイツ軍兵士らの慰霊碑


過去に国連PKOから撤収した例を挙げれば、1996年から続いていたゴラン高原での国連兵力引き離し監視隊(UNDOF:United Nations Disengagement Observer Force)への自衛隊派遣が、2011年に勃発したシリア内戦に伴う治安状況の悪化により、2013年に撤収したことがありました。この撤収については、治安悪化で隊員の安全確保が困難になった事による撤収であり、5原則が崩れたという判断によるものではないと説明されています。

最悪の事態は、引き際を見誤る事です。昨年末にお伝えした「南スーダンで進展している虐殺の危機」の記事中で、虐殺の可能性について懸念しましたが、国際人権NGOのヒューマン・ライツ・ウォッチによれば、政府軍・反政府軍双方による特定民族を標的とした虐殺が行われており、懸念が現実のものになってしまいました。

一般市民に対し、民族だけを理由として恐ろしい犯罪が続いている。両陣営とも一般市民を争いに巻き込んではならない。そして助けが必要な人びとに人道支援団体の手が届くよう計らい、信頼にたる独立した犯罪の調査を受け入れる必要がある。



このような政府軍・反政府軍双方による虐殺が行われている中、これまで通り政府に協力する形でPKO活動を続けた場合、反政府側の民族から反感を買う可能性があります。また、南スーダン情報相が「国連宿営地は反政府軍を匿っている」と主張するなど、政府側にも国連PKOへの疑心暗鬼が生じている状況です。停戦合意により事態が終息する事を期待して留まるか、今後の一層の事態悪化を懸念して撤収するか、どちらかの選択を迫られています。引くタイミングを誤った場合、その悪影響は大きなものになるでしょう。

ここで自衛隊部隊をPKOから撤収した場合、立ち上げたばかりの「積極的平和主義」の看板に傷が付くのは避けられませんし、なによりこの2年間の復興支援の多くが水泡に帰します。一方で、今後も十分想定される事態悪化と、隊員の安全を考えると、撤収もやむ無しという選択もあり得ます。仮に隊員に犠牲者が出た場合、積極的平和主義どころか、日本の平和政策が根本からひっくり返る事態になるのは想像に難くありません。

停戦合意で仕切り直しの時間を与えられた今(本当は与えられてすらいないかもしれないけど)、南スーダンに留まるか否かを真剣に考える必要があるでしょう。