さて、前回はチェコスロバキアで日本が北朝鮮の怪文書による宣伝戦を受け、大使館が対応を検討するも最終的に外務省に判断を仰ぐまでの過程の話でした。今回は外務省側からの回答になります。
外務省からの回答
外務省から回答の公信が発送されたのは、在チェコスロバキア大使館より文書が送付されてから2ヶ月が過ぎた1964年7月15日のことです。発信者は大平正芳外務大臣。彼はこの発送の3日後の7月18日には第3次池田内閣改造内閣の成立により外務大臣を退きますが、後の1978年には内閣総理大臣に就任し、田中角栄の盟友としても知られることになる自民党の大物です。
さて、この回答では、いくつかの見解が示されていますので以下に要約してみます(要約はイタリック)。
・北朝鮮の宣伝文書による我が国対韓政策への攻撃は、誇張・虚偽に満ちているが、いずれにせよ歴史的評価の問題であって、共通の世界観がない限り、たとえ事実を我が方から反論しても水かけ論で終わるのがオチと考える。
・今回の北朝鮮の文書は指摘の通り、極めて卑劣で下品であるため、ある程度の事実か事実に似通ったことを述べている部分の効果を却って減殺するものになっており、全体として宣伝の目的を達しているとは認められない。よって、我が方から反論を行う意味はないと思われる。
・この時期に我が方からこれをとりあげた場合、むしろ問題が表面化し、北朝鮮側の狙いにはまる恐れがある。
・また、日韓会談に関するくだりも、北朝鮮が従来行ってきた公式論の繰り返しに過ぎず、反論を加えるまでもない。
これらの見解から導き出された外務省の指示は、
・かかる問題に対処するには、日常一般的な啓発活動を積み重ねていくのが確実であると思われる。
・講演などの然るべき機会を通じて、わが国の立場を明らかにされるよう御配慮されたい。
・ついては参考までにつぎの資料を別途送付する。「日韓問題」、「峠をこえた日韓会談」、「日朝自由交流とは」
結果
外務省による北朝鮮への対応を一言で言うと、「スルー」でした。現場の努力に押し付けたようにも受けとめられますが、大使館・外務省の判断にある通り、現実的にこれ以上の策は無かったと思われますし、危険を冒してまで北朝鮮の妄言に付き合う必要もないということだったのでしょう。事実、この件が大きな問題になることもなく、日韓条約は翌1965年に締結されます。
対応なんてものがケースバイケースであることは言うまでもないですが、外交の場(と言うにはミクロな状況ですが)では断固たる態度よりも、スルーが有効である事が多々あるということは、昨今の外交を見ても言えるのではないでしょうか。
(終わり)
参考文献
外務省「在当地北鮮大使館の反日宣伝に関する件」
外務省「北鮮側の反日宣伝に対する措置に関する回答」
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