前編では護衛活動開始前までに立てられた護衛計画や訓練・準備についてご紹介致しました。後編では、実際に行われた護衛活動や現地の活動を中心をご紹介したく思います。
■海賊対処活動のベース、ジブチ国際自治港
海賊対処活動は日本を遥かに離れた地域での護衛活動となる為、補給や休息の拠点となる港が欠かせません。海上自衛隊では検討の結果、ジブチ共和国のジブチ国際自治港を活動の拠点としました。ジブチは人口86万人の小さな国ですが、ソマリア等の不安定な国の多い東アフリカの中にでも政情や治安が安定している国で、ジブチ国際自治港は近代的な設備を備えた港です。これは余談ですが、日本が政府開発援助(ODA)を出している国の中で、国民一人当たりで換算すると最もODAを多く受け取っている国でもあり、海上自衛隊が利用する桟橋も日本のODAで建造されたものです。なお、護衛活動を行う海域の近隣にはイエメン共和国のアデンという港湾都市もあるのですが、近年イエメンは政情が不安定でテロも頻発している為に除外されました。
護衛艦「さざなみ」ジブチ入港:防衛省統合幕僚監部サイトより引用 |
ジブチは国土のほとんどが荒地である為、多くの収入を国際港からの収益に頼っております。また、フランスの植民地であった為、現在もフランスとの関係が深く、フランス空軍が国土の防空を行っています。そういった経緯もあり、EUのフランス・ドイツ海軍の海賊対処部隊もジブチをベースとしており、アメリカも拠点の一つとしております。国際港からの収益が重要なジブチ政府にとり、近隣で海賊が跋扈する状況は好ましくなく、多くの国の海賊対策部隊に基地機能を提供をしている訳です。現に派遣海賊対処水上任務部隊指揮官はジブチ大統領に表敬訪問を行っており、国家元首である大統領が外国の部隊指揮官と面会に応じるのは破格とも言える対応であり、護衛艦内で開かれたレセプションにはジブチ首相も訪問しています。このようなジブチ政府首脳の行動は、自衛隊に寄せる期待の大きさや日本との関係を重視していることの表れと思われます。
ジブチ大統領を表敬訪問する派遣海賊対処水上任務部隊指揮官:統合幕僚監部サイトより引用 |
さて、海賊対処の本筋からはズレますが、自衛隊はジブチ寄港時はどのような生活を送っていたのでしょうか。ジブチは国土がほとんど荒地である関係上、ラクダが主要輸出品の一つであり、護衛艦が停泊していた桟橋の近くでもラクダの積み下ろしが行われていたため、匂いやハエに悩まされたとのことです。また、クレーンからラクダが落下して地面に叩きつけられる瞬間を目撃する隊員がいたとか……。食生活については、イスラム圏の国家では珍しいことに市内での飲酒ができ、日本料理店もあったとのことでした。しかし、衛生状態は悪く、生水や飲料の氷を摂すると腹痛を起こすような環境だったそうです(まあ、外国はこれがデフォといっても過言じゃないですが……)。市内の治安は良好で、現在までには隊員がひったくりを受けた1件以外に犯罪被害はないとのことでした。
■海賊対処活動、本番へ
船団の護衛活動は前編でもご紹介した通り、2009年の3月30日より開始されますが、早くも4月3日20時46分に海賊対処活動が行われます。シンガポール船籍のタンカー「OCEAN AMBER」より不審船に追跡されているとの無線連絡を受けました。この当時は海賊対処法案が成立していなかった為、護衛対象は日本関連船舶に限られていたのですが、「OCEAN AMBER」からの救援要請に対しては船員法第14条を根拠にして応じました。船員法第14条とは以下の条文になります。
(遭難船舶等の救助)
第14条 船長は、他の船舶又は航空機の遭難を知つたときは、人命の救助に必要な手段を尽さなければならない。但し、自己の指揮する船舶に急迫した危険がある場合及び国土交通省令の定める場合は、この限りでない。
このように船舶の遭難について知った際は、船長はその救援を行うことが法令上義務付けられており、海賊対処部隊も同法に基づき、護衛艦「さざなみ」から不審船4隻に対してLRADによる警告を行いました。この結果、不審船は「OCEAN AMBER」追跡を諦め去り、被害はありませんでした。
また、4月11日にはA地点(前編参照)で船団の合流を待っていたところ、マルタ船籍「PANAMAX ANNA」より不審船に接近されているとの無線連絡を受け、「さみだれ」及び艦載ヘリにて確認させたところ、転覆したボートを曳航する不審な船だった為、「PANAMAX ANNA」への接近をやめるよう「さみだれ」とヘリ双方のLRADより警告を行った為、不審船は停船し、「PANAMAX ANNA」が安全な距離まで離れたのを見届けてから「さみだれ」はA地点まで戻りました。
転覆船を曳航する不審船:朝雲新聞サイトより引用 |
このように、最初の2週間だけで2回の不審船対処が行われ、その後も多くの対処行動が取られ、現在まで護衛対象船舶・対処部隊含めて被害は出ておりません。
護衛対象船舶外への対応は船員法14条で対処していましたが、申請した護衛対象船舶でないにも関わらず船団に加わったり、護衛艦近くを航行することを現場で希望する船舶が後を絶たず、そういう場合に対処部隊は「護衛はできないが、一緒に行こう」と応じるそうです。「護衛はできない」と言いつつも、実際は船員法があるので緊急時には対処義務がありますので、事実上の護衛対象船舶と言える存在になります。海賊対処部隊の護衛実績隻数は公表されていますが、公式発表に載っていない船舶が相当数あるものと推測されます。それらの船舶とは情報共有を行い、船団が予定海域に到達すると感謝のメッセージを送ってきたそうですが、中には最初から何も連絡せずについてきて、そのまま去っていく船舶もあったそうです。
■外国軍との連携
前編でも少し触れましたが、アデン湾・ソマリア沖には様々な国の海軍が集結して海賊対策にあたっています。護衛船団も有志連合軍の設定した安全回廊を航行しており、各国軍との連携や情報共有が護衛活動にとっては重要となります。自衛隊と各国軍との連携の例をあげますと、護衛対象外船舶から不審船に追われているとの通報を受けたものの、距離が離れており護衛に支障を来すため、通報船の近隣にいるA海軍艦艇に救助要請を無線で連絡すると、途端にB海軍より該当不審船にヘリを急行させたと無線連絡が入ったそうです。この10分後、不審船はB海軍ヘリに制圧され、武器押収の上爆破処理がされたとのことでした。また、水上部隊ではありませんが、P-3Cで監視活動を行う航空隊も不審船を各国軍に通報し、海賊船検挙に貢献した例もあります。このように、護衛活動においては各国軍との連携が欠かせないものとなっております。
■第一次隊の活動終了、そして
本稿は派遣海賊対処水上部隊の第一次隊を中心にして述べました。第一次隊は日本出航から帰国までを含めると、2009年3月14日から8月16日とおよそ半年の長きにわたり派遣されておりました。この間、派遣隊員の家族には子供が4人生まれ、5人に不幸があったとのことです。派遣前の準備にあたり、重病を患っている隊員の家族には予め時間を与えることができたとのことですが、5人の不幸のうち、急な交通事故で父親を派遣中に亡くした20代の若い隊員がいたそうです。派遣前、父親は今回の任務に派遣される隊員を喜んで送り出したとのことで、周りが帰国して葬儀に参列することを勧める中、その隊員は「任務に誇りをもっているので帰らない」と言ったとのことです。ですが、夜にその隊員が行方不明になり艦内で慌てて捜索が行われたところ、倉庫の奥で一人で泣いている隊員が発見され、上の判断で飛行機で帰国させたとのことでしたが、葬儀には1日間に合わなかったそうです。
第一次隊は41回、121隻の護衛を行い、その間に民間船舶にも隊員にも被害はありませんでしたが、長期の任務であるため、この様な家族の不幸が起こる可能性は常に有り、葬儀にも立ち会えないかもしれない厳しい任務でもあります。また、日本出航時のストレスチェックでは10人に1人ストレスが認められましたが、任務終了時には5人に1人までストレスが認められたそうです。海賊対処法案が可決されたことで、護衛対象船舶は外国船にも広がり、その任務はより一層重要性が増し、負担も大きくなると思われます。我々の生活の裏で、隊員の労苦があることを一人でも多くの方に知って頂ければ幸いです。
追記&注意
twitterで出典を書いて欲しいというご要望を頂いたので、ここに注記したいことがあります。
通常、本ブログでは出典元を明記しておりますが、今回の記事は防衛セミナーの五島一佐の講演内容を元にして書いており、講演では資料が配られなかったため(日本船主協会の講演は資料配布あり)、スライドの内容と講演内容を私が速記し、その内容を記憶と確認できる公式資料に照合することで書いております。よって、出典を明記することはできないのが実情であり、また私のミスによる誤謬も存在する可能性がある点を予めご了承頂きたく思います。