2008年7月30日水曜日

訂正&追記



訂正のお知らせ


 先日の“幻のてき弾銃”記事内の「試験の区分」図に誤植がありました。「研修試験」は「領収試験」の誤りでした。訂正してお詫びします。画像も変更しました。


追記


 記事中でてき弾銃の鮮明な静止画像は掲載できませんでしたが、北大路機関さんの「国産擲弾銃開発が遺した課題と可能性」に写真撮影が禁止される以前に撮られた写真がありますので、興味のある方は北大路機関さんへどうぞ。


2008/8/1追記


“幻のてき弾銃”記事内での研究開発フローについて、ご指摘を頂いたため追記を行いました。当該記事に赤で記入してあります。





2008年7月26日土曜日

幻のてき弾銃



 第一次大戦下の1916年9月15日、ソンムにおいてイギリス軍が戦車を史上初めて実戦投入しました。ほとんどの歩兵火器が効かない歩兵の敵の出現により、従来の歩兵火器の系統から枝分かれし、別の進化を辿ることになる火器、即ち対戦車火器が生まれることになります。


 戦車の出現に対して、当初のドイツ軍は遠距離射撃・拠点攻撃用に小銃で使われていたタングステン鋼弾芯のK弾を対戦車徹甲弾として小銃手1人につき5発支給することで対応しますが、1917年6月にイギリス軍がK弾に耐える装甲を持ったMK.IV戦車を投入したため、新たな対策を迫られます。この結果、1918年に世界初の対戦車火器(対戦車ライフル)であるモーゼルT型小銃(口径13mm)が誕生しました。しかしながら、対戦車ライフルは戦車が急激に発達した第二次世界大戦を機に衰退し、現在は対物ライフルとして復活したものの、対戦車火器としての性格は薄くなってしまいました。


 そして現在、対戦車火器の主流は成型炸薬弾(HEAT)となっています。携行型対戦車火器としての成型炸薬弾には様々な投射手段がありますが、現在はミサイル(誘導弾)、無反動砲、ロケット(若しくは、RPG-7の様に無反動砲とロケット推進を合わせたもの)が主流となっています。さらに軽装甲車両・対人用として、小銃てき弾・てき弾銃(グレネードランチャー)があり、前者は自衛隊の06式小銃てき弾、後者はアメリカのM203、M79グレネードランチャー等があります。


 過去にはイギリス軍のPIATの様なバネと火薬の推進力で発射する変態チックなモノもありましたが、おおむね戦後は上に挙げたモノが対戦車火器の主役となっています。しかしながら、開発されたものの制式化されず、お蔵入りしてしまった変わり種の対戦車兵器が戦後もありました。名前こそ「てき弾銃」ではあるものの、その形状は従来の「てき弾銃」とは大きく異なるものでした。そして、それを開発していたのは日本です。本稿ではその姿に迫ってみたいと思います。





まずは


 軍事アナリストとして著名な小川和久氏の著書、「戦艦ミズーリの長い影」では自衛隊の装備開発の問題点を指摘しています。この本は首肯しかねる部分も多いのですが、常に装備調達契約のトップであるために「政商」と批判される三菱重工を「企業努力と研究開発上の蓄積」による結果と擁護したこと等、評価できる点もあるので自衛隊の装備開発に興味のある方は一読をお勧めします。


 話を戻します。この「戦艦ミズーリの長い影」で小川氏は、てき弾銃の開発とその失敗について触れ「失敗した研究開発は、それこそ跡形も残らぬほど、徹底的に“証拠隠滅”が図られる。その代表例ともいえるのが、擲弾銃のケースだろう」とまで述べています。この小川氏の表現は相当オーバーなものだとは思いますが(資料手に入るし)、てき弾銃の開発にある種の問題が内包されていたことは事実と思います。まずは、その概要と経緯を探ってみましょう。





概要


 てき弾銃とは言っても、現在の96式40mm自動てき弾銃とは大きく異なるもので、当時使われていた小銃擲弾及び89ミリロケット弾発射器の後継として、至近距離に置いて対戦車攻撃・一般地上目標の制圧のために開発されたものです。主要な要目はこの通りになっています。


口径:66mm


弾種:対人榴弾・対戦車弾の2種


重量:約8kg


特徴:後方爆風無し。屋内からでも射撃可能。ロケット推進併用。


 映像資料をニコニコにアップしましたので、概要はてっとり早くそちらへどうぞ。以下の映像になります。色々な事情からアレなとこがありますが、そこはお察し下さい。



D





開発までの経緯


 昭和40年代、陸上自衛隊の普通科部隊における携行型対戦車火器は、朝鮮戦争で活躍した89ミリロケット発射器(M20A1、通称スーパーバズーカ)が主力でしたが、戦車の高度化に伴い陳腐化が懸念されていました。そのために89ミリロケット発射器の後継装備として、1972年よりてき弾銃の研究が進められます。ところが、この研究の段階で問題があったと小川氏は指摘しています。これを理解する為の助けとして、装備開発の流れを下に図式化しました。


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※火器弾薬技術ハンドブックより作成


 上図のフローは兵器が構想、研究、開発を経て装備化される流れを表しており、図の下段は防衛省の用語に置き換えたものです。所内研究は技研本部の各研究所が行う考案・調査研究、研究試作は技研本部・研究所の開発官が行う開発段階における研究段階の試作となっています。研究所で技術的可能性が検討されてから、開発官が研究試作を行うという手順で研究開発が行われるのですが、小川氏によれば、この「技術的可能性の検討」にてき弾銃開発の問題があるそうです。


 では問題とはなんでしょうか。それは、てき弾銃の研究として第一研究所(現・先進技術推進センター)が製作した装置が銃の形をしていたため、内局の担当者が「研究所が開発するとは何事か」と怒り、研究が完了しないまま開発官に開発を命じてしまった、というのです。先ほど述べた通り、研究所→開発官というフローでは研究所は研究を行い、開発は開発官が行うことになっています。要はこの内局の担当者は、研究所が勝手に開発を始めたと誤解して怒り、研究フローをすっ飛ばして開発を始めさせてしまったという下らない話だったということです。


追記(2008/8/1):また、「技術研究本部は勝手に装備品を企画・開発することができない」とのご指摘を当記事のコメント欄で受けました。内局の担当者が怒った原因がここにあり、内局以前に正常な研究開発フローからの逸脱があったそうです。ご指摘された、さむざむ。氏に感謝します。





開発


 そんなこんなで、てき弾銃開発は技術的可能性が曖昧なまま、見切り発車でスタートします。ここで、その開発経緯を以下に図式化してみました。


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 研究3年、開発6年、実用試験3年となっています。自衛隊最新の携行対戦車火器である01式軽対戦車誘導弾の試作・技術試験・実用試験が合わせて4年で終了したことを考えると、非常に長い開発期間と言えるでしょう。この期間の長さから、開発段階で相当の苦労があったと推測されます。実際、開発中で直面した大きな問題はその命中精度にあったようです。61式戦車、74式戦車の開発にも携わられ、陸上開発官としててき弾銃の開発トップだった近藤清秀氏は、開発の初期ではせいぜい20%の命中率、日産自動車の宇宙開発部(現・IHIエアロスペース)がロケット部分を担当するようになると、80%ほどの命中率にまで上がったと語っています。


 さてこの近藤氏の話で具体的な企業名が出てきたので、てき弾銃の開発関係企業を整理してみましょう。てき弾銃開発の初期は銃器を豊和工業、弾薬をダイキン工業が開発担当していましたが、昭和46年度にダイキン工業は開発を辞退し、代わりに日産自動車が弾薬の開発を行った模様です。各社のてき弾銃開発に関する見解の要約を以下に示します。


豊和工業:日産と10年かけて開発したが、防衛庁の要求性能を満足できず研究中止。


ダイキン工業:対機甲弾開発に技術面で行き詰り、昭和46年度に開発を辞退。他社が50年から54年にかけて開発試作を行ったが、目処がつかずに開発テーマ終了。


日産自動車:言及資料見つからず。


技術研究本部・近藤氏:最初は20%、日産が係ると80%の命中率になった。


 いくつか微妙な違いがありますが、これらを突き合わせると、


 「豊和とダイキンが開発していたが、弾薬担当のダイキンは対機甲弾の開発に行き詰り辞退し、代わって日産が弾薬を担当したところ飛躍的に改善はしたものの、結局はダメだった」というところでしょうか。今まで挙がってきた証言などから推測すると、どうも問題は対戦車弾にあるようです。


 先ほどの映像は装備開発実験隊による実用試験ですので、開発の後期段階のものと推測されます。ということは、改善されたはずの日産製対戦車弾が使用されているものと考えられますが、映像を見る限り実用に値するかは疑問が残ります。別の映像では非常に強い反動で砲口が上がり、標的上方に弾着するケースが散見できました。隊員の苦笑交じりの呟きも聞こえるなど、試験結果も芳しくなかったシーンもあります。比較対象として、同じく口径66mmのM72ロケットランチャーの発射の際の反動を見てみましょう。



D


 M72は後方爆風の問題こそあるものの、ほぼ無反動といってもよいほど安定した射撃です。同じ口径でこれほどの差があるのは問題でしょう。


 結局、実用試験を経てもてき弾銃の装備化は行われず、開発は失敗しました。てき弾銃が務めるかもしれなかった89ミリロケット発射器後継は、スウェーデンのFFV社が開発したカールグスタフ無反動砲に決定します。実はこのカールグスタフ、てき弾銃開発に行き詰った豊和工業とダイキン工業が昭和46年に欧州に視察・技術調査を行った際にFFV社より説明を受けて報告書を防衛庁に提出しており、カールグスタフ導入への支援になったという因果な話があります。





開発の問題点


 このてき弾銃開発にあたっての最大の問題は、小川氏の言う通り、研究の成果を見極める前に開発に移行してしまったことに尽きるでしょう。十分な時間を与えることが許されずに失敗した兵器開発プロジェクトはどの国にもありますが、わが国においててき弾銃はその代表とも言える例ではないでしょうか。


 しかしながら、てき弾銃が仮に装備化に成功したとしても、66ミリという小さな口径でどれだけ対戦車戦に貢献できたかは疑問の余地があります。同口径のM72が、米軍では対装甲車輌としてではなく、対人・対拠点攻撃に活用されていたこと。陸上自衛隊でも口径84mmのカールグスタフを補完する形で、さらに強力な口径110mmのパンツァーファウスト3を採用していることを考えると、対戦車火器としてのてき弾銃の寿命はかなり短いものになっていたのかもしれません。





そして


 てき弾銃の開発が失敗に終わった20年後、カールグスタフの後継として01式軽対戦車誘導弾が開発されます。この01式は掩蓋内射撃が可能という対戦車火器という、てき弾銃の最大の特徴を備えている点は注目に値するでしょう。また、てき弾銃の開発経緯と比較すると面白いことが分かります。01式はてき弾銃より研究期間が1年長い4年である反面、開発・実用試験は4年でてき弾銃の7年より3年短い期間で終了しています。研究に時間を割けたことで、開発側の負担を減らして全体の効率化を達成することができた例と言えるでしょう。01式の成功によって、てき弾銃開発失敗の汚名を返上できたようです。


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 現在、てき弾銃は土浦駐屯地の陸上自衛隊武器学校の資料館に展示されています。写真撮影は禁止されていますので、こちらには写真を掲載することはできませんが、興味のある方はイベントの際にでも寄られてみてはいかがでしょうか。


2008/11/16 追記:11/15の武器学校創立記念行事では写真撮影がOKでしたので、撮ってきました。


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参考文献


小川和久「戦艦ミズーリの長い影」文藝春秋


ジョン・ウィークス「対戦車戦 戦車と戦う人間」原書房


弾道学研究会 編「火器弾薬技術ハンドブック」防衛技術協会


ダイキン工業株式会社社史編集委員会「ダイキン工業70年史」ダイキン工業


豊和工業「豊和工業八十年史」豊和工業


小林源文「武器と弾薬 悪夢のメカニズム図鑑」大日本絵画


戸梶功「軽対戦車誘導弾の開発について」防衛技術ジャーナル 2002年3月





2008年7月17日木曜日

総火演の話:外伝



 先週は富士総合火力演習入場券のインターネット抽選の当選発表がありましたが、皆さんの結果はどうでしたか? 私は落ちました。ハガキ応募の結果に望みを託します。


 さて、陸上自衛隊の主要装備が一堂に会し、盛大に実弾射撃(実弾以外も多いですが)を行う富士総合火力演習(総火演)は、数ある自衛隊のイベントの中でも最も人気のあるものですが、演習自体は約1ヶ月に渡るものでして、一般に公開される演習自体はその総仕上げ的な性格を持つものです。


 一般公開日の演習プログラムは前段・後段に分かれており、前段で野砲、迫撃砲、誘導弾、指向性散弾、ヘリ、普通科、戦車、空挺がそれぞれの紹介を兼ねて射撃や降下を披露し、後段で諸職種協同の戦闘様相の展示として、航空偵察から始まり各部隊の攻撃の後に全装備の突撃(2007年のトリはAH-64でした)で戦闘様相の展示は終了します。この後に音楽演奏(会場がうるさい上に広いのであまり聴けません)や装備品展示となります。


 まあ、演習や射撃は百聞より一見ですから話はここまでにしておいて、会場の方に目を向けてみましょう。会場ではスタンド席の裏側に売店やトイレがあって開催中はお祭りの様相を見せています。とにかく人が多くて歩くにも面倒な場所ですが、こんな場所に置いてあるにも関わらず、何故か注目されていないものがあります。


 それがこれ。


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 このペーパーは、陸上自衛隊内の曹による任意加盟の親睦団体である富士駐屯地曹友会が作成した「ふれあいパーティー」のチラシです。ありていに言うと合コンのお誘い。全国の駐屯地の曹友会・自衛隊協力会等で同種のイベントは企画されていますが、合コンの様なものとはいえ、これは結構重要な問題を持ち合わせています。人口の少ない地域に駐屯する部隊の隊員にとっては出会いの機会でもあると同時に、過疎化に悩む地方自治体にとっては自衛隊を地域に繋ぎとめるための役割も果たしており、現に第7師団の戦車連隊等が駐屯する恵庭市では、市が自衛隊協力会に年間20万円の補助金を拠出し、お見合いパーティーを開催しています。場合によっては、家族含めて千人以上の消費・税金が期待できるのですから、地方自治体としても自衛隊は「優良な大企業」としての価値が高いものになっているようです。


 自衛隊関連のイベントに行きますと、その地域の事情を反映した何かが置いてあったりするのでチェックされると良いと思います。装備や演習以外の見どころでもありますよ。


 でも、このペーパー。凄い人通りがあるところにあったのに、まるで目立たないし、見向きもされていなかったんだよなあ……。





参考


毎日新聞 ニュースワイド:自衛隊削減に危機感 「共存共栄」の自治体、引き留め作戦 /北海道





2008年7月4日金曜日

宣伝戦 日本対北朝鮮(その2)



 さて、前回はチェコスロバキアで日本が北朝鮮の怪文書による宣伝戦を受け、大使館が対応を検討するも最終的に外務省に判断を仰ぐまでの過程の話でした。今回は外務省側からの回答になります。





外務省からの回答


 外務省から回答の公信が発送されたのは、在チェコスロバキア大使館より文書が送付されてから2ヶ月が過ぎた1964年7月15日のことです。発信者は大平正芳外務大臣。彼はこの発送の3日後の7月18日には第3次池田内閣改造内閣の成立により外務大臣を退きますが、後の1978年には内閣総理大臣に就任し、田中角栄の盟友としても知られることになる自民党の大物です。


 さて、この回答では、いくつかの見解が示されていますので以下に要約してみます(要約はイタリック)。


 ・北朝鮮の宣伝文書による我が国対韓政策への攻撃は、誇張・虚偽に満ちているが、いずれにせよ歴史的評価の問題であって、共通の世界観がない限り、たとえ事実を我が方から反論しても水かけ論で終わるのがオチと考える。


 ・今回の北朝鮮の文書は指摘の通り、極めて卑劣で下品であるため、ある程度の事実か事実に似通ったことを述べている部分の効果を却って減殺するものになっており、全体として宣伝の目的を達しているとは認められない。よって、我が方から反論を行う意味はないと思われる。


 ・この時期に我が方からこれをとりあげた場合、むしろ問題が表面化し、北朝鮮側の狙いにはまる恐れがある。


 ・また、日韓会談に関するくだりも、北朝鮮が従来行ってきた公式論の繰り返しに過ぎず、反論を加えるまでもない。





 これらの見解から導き出された外務省の指示は、


 ・かかる問題に対処するには、日常一般的な啓発活動を積み重ねていくのが確実であると思われる。


 ・講演などの然るべき機会を通じて、わが国の立場を明らかにされるよう御配慮されたい。


 ・ついては参考までにつぎの資料を別途送付する。「日韓問題」、「峠をこえた日韓会談」、「日朝自由交流とは」





結果


 外務省による北朝鮮への対応を一言で言うと、「スルー」でした。現場の努力に押し付けたようにも受けとめられますが、大使館・外務省の判断にある通り、現実的にこれ以上の策は無かったと思われますし、危険を冒してまで北朝鮮の妄言に付き合う必要もないということだったのでしょう。事実、この件が大きな問題になることもなく、日韓条約は翌1965年に締結されます。


 対応なんてものがケースバイケースであることは言うまでもないですが、外交の場(と言うにはミクロな状況ですが)では断固たる態度よりも、スルーが有効である事が多々あるということは、昨今の外交を見ても言えるのではないでしょうか。


(終わり)





参考文献


外務省「在当地北鮮大使館の反日宣伝に関する件」


外務省「北鮮側の反日宣伝に対する措置に関する回答」





2008年6月30日月曜日

宣伝戦 日本対北朝鮮(その1)



 先週は株主総会ラッシュで多忙を極めた方も多いと思います。株主総会と言えば、総会屋による数々の妨害行為その他が毎年の様に報道されていますね。総会に限らず、なんらかの重要イベントの際に不穏当な噂や怪文書が流れるのは良くあることですが、それは外交の場でも同じみたいです。今日は約40年前にあった、北朝鮮による反日宣伝に対する外務省の対応についての記事です。





経緯


 1964年の5月4日、在チェコスロバキア大使より外務大臣へ「在当地北朝鮮大使館の反日宣伝に関する件」との報告書が送付されます。報告によりますと、在チェコスロバキアのスイス大使より、北朝鮮大使館がチェコスロバキアで配布している反日宣伝文書を入手したとのことです。この文書は3月20日付の朝鮮民主法律家協会声明の要旨で、発行責任者の名前はないが、北朝鮮大使館の封筒が使用されていました。内容は日韓会談が、米国の支持の下に日本が再び朝鮮を侵略するための陰謀であると決め付け、同時に1875年からの日本の対韓政策を極めて卑劣な言葉で誹謗し、日韓会談の反対を呼び掛けたものです。当時、日本と韓国の間では国交正常化に向けた日韓交渉が1961年より行われており、この報告の翌年、1965年6月には日韓条約が調印されることになるのですが、北朝鮮の意図はこの日韓会談の妨害にあったものと思われます。


 また、この文書を提供したスイス大使の話によれば、過去にも同種の宣伝文書が北朝鮮大使館からスイス大使館に送られていたとされ、他にも共産諸国・アジア・アフリカ諸国の大使館・公使館、チェコスロバキアの官庁・民間団体に相当数が配布されていると見られました。これを受け、在チェコスロバキア大使館では対抗措置を検討することになります。





対応


 しかしながら、北朝鮮と国交が無い以上、公式に北朝鮮大使館に対して抗議することはできないという問題があります。そこで日本大使館は以下の2つの対応を検討しました。


 ・チェコスロバキア外務省に対し、北朝鮮の反日宣伝は外交特権の濫用だとして、文書の差し止めを要請。


 ・反論文書を作成し、在チェコスロバキアの諸団体に送付する。


 ただ、この2つの策はいくつかの理由で効果がないと見られていました。


 まず前者です。チェコスロバキア当局は、この種の外国人向け文書に対する検閲を行っておらず、外国間の宣伝戦に干渉することはないだろうという推測です。この推測の根拠として、在チェコスロバキアの各国大使館に送られてくる宣伝文書に対し、チェコスロバキア当局が対応措置を取ったことは無いということを挙げています。例外として、1963年に中国人が反ソ連宣伝文書を配布した際、新華社通信の支局をチェコスロバキア当局が閉鎖したこともありますが、これは外国人向けではなく、チェコ人向けの反ソ連宣伝であり、チェコスロバキアの実質的宗主国であるソ連との関係上、当局が干渉を行ったものと見られます。以上のことから、チェコスロバキア当局の干渉は期待できないと見られました。


 次に後者です。この反日文書は様々な誇張や虚偽を含みますが、事実や事実に似通ったこともいくつか述べられていました。嘘の中に若干の事実を混ぜることで嘘に真実味を持たせるのはセオリー通りですが、このような文書に対して一々反論(特に日本の朝鮮統治について)を行うことは、当時進んでいた日韓交渉の絡みもあり、非常に微妙な問題でした。


 この文書はチェコスロバキアのみならず、北朝鮮と外交関係にある国では似たような形式で配布されていると思われるため、日本大使館は外務本省で総合的な対策を検討し、対応策を指示するように外務大臣に要請しました。


(続く)





2008年6月21日土曜日

技術研究本部もシンクライアント導入



 ふと思ったこと。動機、裏付けは特にありませんので話し半分に。


 海上自衛隊が情報流失対策として、保有する3万台のPCを米サン・マイクロシステムズ製のシンクライアントに置き換えるとの報道が2月にありましたが、防衛省技術研究本部でも15台のシンクライアント端末と1台のサーバを導入するそうです。


 シンクライアントについては、供給元のサンのページをご覧いただいた方が確実ですが、ここで簡単に言うと、端末側にストレージ(この場合はハードディスク)を持たず、ネットワークで接続されたサーバ側でデータ・ソフトウェアを一元管理するシステムです。秘密保持の観点からは、盗難・紛失による情報漏洩の心配がなく、データの管理も中央で行いやすいという利点があります。


 技術研究本部で導入されたのもサンの製品(Sun Ray)と思われます。しかしこのシンクライアント、少し前までは全然売れず、タダ同然で販売していたような時期もあったと伝え聞いています。もっとも、サーバの管理費等で長期的に資金を回収できる仕組みにはなっているのですが、それにしても酷かったとか。


 最近になり、PCからの情報流失が問題になると、ようやくシンクライアントにも日の目が当たるようになり、海上自衛隊が3万台導入という最大の実績が生まれようとしています。最近開かれた某展示会でもシンクライアント・疑似シンクライアントは大々的に展示されていましたが、かつては分散が持て囃されていた時期もあったので、この潮流が一時的なものかそうでないかが明らかになるのは今少し時間が必要なようです。


 でも、なんだかんだ言って、情報流出の50%は紙媒体によるもので、そこいらの対策も非常に気になります。民間ではFeliCa等のICカードに対応したドキュメントソリューションが活発に宣伝されていますが、もはや都市伝説と化している「自衛隊コピー代金自腹」(これ、実話ですか?)の息の根を止めることが先決な気もします。もっとも、防諜は最終的には人の問題に行きつきますが。





2008年6月14日土曜日

自衛隊の地道仕事 高空における放射能塵の測定



 2006年10月9日に北朝鮮が地下核実験を行ったと発表したことは記憶に新しいと思います。この発表を受け、内閣官房の放射能対策連絡会議(旧内閣放射能対策本部)は放射性物質のモニタリングの強化を防衛庁(当時)、文部科学省、環境省に要請しました。本稿ではこの際行われた自衛隊機による放射能塵の測定と通常任務について述べたいと思います。





自衛隊の臨時活動


 要請を受け、防衛庁では航空自衛隊機による高空での放射能塵の測定活動を開始します。


 航空自衛隊による放射能塵の測定は内閣放射能対策本部の環境汚染調査の一環として、1961年より毎月1回行われていましたが、今回はより詳細なデータを求める必要があったため、10月9日から11月10日まで毎日臨時の収集が行われました。


 防衛庁による放射能塵収集にはT-4練習機が使用され、集塵ポッドを搭載したT-4の姿が大きく報道されたことを覚えている方も多いでしょう。この集塵ポッドは正式には機上集塵器(2型)と呼ばれるもので、内部に高空塵採取用のエレクトレットフィルタ(静電気により集塵効果を高めたフィルタ)、放射性ガス捕集用の繊維状活性炭布を組み合わせた直径28センチのフィルタが装着されています。この機上集塵器(2型)を搭載したT-4は日本上空の3空域(西部・中部・北部空域、高度3km及び10km)で測定活動を行い(下図)、そこで採取された試料は財団法人日本分析センターにて分析が行われました。


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*文部科学省 『北朝鮮の核実験実施発表に対する放射能影響の観測結果について』より引用


 この分析の結果は各省庁の分析結果と併せ、文部科学省により公表されました。結果はどの省庁による観測活動でも人工放射性核種は検出されず、10月24日に内閣放射能対策連絡会議の決定に基づき、同日以降は他省庁の観測活動は通常業務に戻りましたが、防衛庁は引き続き25日から11月10日、11月20日から24日にかけても測定を行い、試料は技術研究本部で分析を行いましたが、これらの結果も以前と同様に人工放射性核種は検出されませんでした。現在、これらの分析結果により、北朝鮮による核実験は失敗か部分的成功に過ぎなかったのではと言われています。





普段の活動


 前述しましたが、自衛隊による高空での放射能塵の測定自体は1961年より実施されており、その分析は長らく技術研究本部第1研究所(現・先進技術推進センター)で行われています。通常は毎月1回なのですが、1964年の中国による核実験や1986年のチェルノブイリ原発事故の際にも今回と同じように臨時の測定活動も行われています。


 測定活動が始まった1961年当初、その収集方法は現在の集塵ポッドによるものではなく、ガムードペーパ方式と呼ばれるものでした。ガムードペーパ方式とは、航空機の主翼前面に17.5cm×33.5cmの両面シートを30枚貼り付けて飛行を行い、シートに放射能塵を付着させるというものです。この方式はとても簡便で安上がりなのですが、測定の差が大きいため1971年以降は特別調査以外には使用されていません。現在は前述した集塵ポッドを使用したフィルタ収集が行われています。


 さて、このように半世紀近く実施されてきた、自衛隊による高空での放射能塵の測定のデータは非常に貴重なものです。このデータを用いれば、放射能の高空での挙動が予測できるため、核実験や原発災害による放射能汚染の被害対策に貢献できます。このため、2004年に観測結果の概要部分が電子データベース化され、現在もデータベース化が継続されています。


 装備にばかり目が向けられがちですが、このような長年にわたる地道な活動は国民・国防にとり重要なものです。こういう活動にこそ、もうちょっと陽の目を当てても良いと思うのですがどうでしょうか?





参考文献


荻野久美子,佐藤 美穂子 『高空における放射能塵の調査研究(全β放射能濃度の長期的推移に関する考察)』 防衛省技術研究本部技報 2005年8月 


清水俊彦,内田信,岡田匡史 『高空における放射能塵の測定(特別調査) 』 防衛省技術研究本部技報 2007年5月


文部科学省 「北朝鮮の核実験実施発表に対する放射能影響の観測結果について


財団法人日本分析センター


放射能対策連絡会議 「北朝鮮による地下核実験実施発表に伴う当面の対応措置について


防衛省 モニタリング強化への協力について


資源環境技術総合研究所 NIREニュース 「エレクトレットフィルター